第2次オイルショックが起きたのは1978年の10月のことです。
第1次オイルショックを引き起こした第4次中東戦争は1977年に終結しましたが、石油価格は高止まりを続け、OPECの影響力は強まっていました。このときOPECの石油産出量の1位がサウジアラビア、2位がイランです。イランはOPEC産の17%、世界の石油生産の10%を占める産油国でした。当時のイランは親米のパーレビ国王の独裁下で、国民の間では経済格差が広がり不満が募っていました。

国民の不満は、1978年にフランスに亡命していたホメイニ師が指導した反政府活動によって爆発します。最終的にパーレビ国王はアメリカに亡命し、代わって帰国したホメイニ師が政権を掌握します。1979年2月のことです。
このイラン革命に向かう混乱のなか、石油メジャーがイランから撤退します。イランは石油国有化をおこない、石油輸出を制限します。これに他のOPEC諸国も協調して石油の減産をしたことで、原油価格が短い期間に3倍になりました。これが第2次オイルショックです。
日本は第1次オイルショックからの5年間でオイルショックへの耐力を高めていました。結果的に第2次オイルショックの影響が世界で最も軽かったと評価されています。
日本が実施した最初の施策が「石油備蓄」です。1978年末時点で、日本は90日分の石油を備蓄していました。
ちなみに、現在の石油国家備蓄は245日分です。
次に日本全体で取り組んだのが「省エネ」です。「エネルギーの使用の合理化に関する法律(省エネ法)」が制定され、官民の総力を挙げて、特に産業界での省エネにまい進します。エネルギー転換効率は高まり、未利用エネルギーの利用技術が開発されました。結果として、日本は世界最高水準のエネルギー消費原単位を獲得します。
ちなみに、1979年の日本製造業のエネルギー原単位は第1次オイルショック前より(10年足らずで)20%近く改善されました。2024年では約55%改善されています。
3つ目は代替エネルギーの開発を進めて「エネルギー源の多様化」を進めました。原子力発電所の建設・操業開始が続きます。天然ガス(LNG)の利用も本格化していきます。日本の1次エネルギー供給でみると、第1次オイルショック以前の1972年は石油が66.4%を占めていました。第2次オイルショックが起こった1979年は61.7%、1980年には56.9%、1981年には54.7%と下がっていきました。
ちなみに、昨年2024年は1次エネルギーに占める原油の割合は31.9%です。
要するに、オイルショックのときとは日本の状況は違う(強くなっている)のです。まぁ、酷くパニックになることはありません。事業者としては冷静に慌てましょう。
