萩には秤座、神家の出店があった

江戸幕府は棹秤(さおばかり)の精度を維持するために秤座を設けました。 

 

東国33か国を江戸秤座が、西国33カ所を京都秤座が受け持ちました。江戸は守随(しゅずい)家が、京都は神(じん)家が世襲で管掌しました。神家は西国15カ所に出店があり、出店が無い地域には出張所を置いたり、名代を指名しました。長州藩では萩に神家の出店があって、秤の製作・販売と同時に秤改め、悪秤没収の役を担いました。

 

神家 竿秤
神家 棹秤

江戸時代の計量管理は想像以上にしっかりしています。概ね10年くらいの間隔で、秤改めがあります。正常な秤には神家(「神善四郎」)の刻印を押して保証し、悪い秤は廃棄されました。

 

秤は秤座で製作されたものだけが正しくて、それ以外はニセ秤です。勝手に作ったり、修理してはならず、もしバレたら重く罰せられました。 

 

何故、江戸時代の秤が厳密に管理されていたかというと、貨幣が額面ではなく重さで評価されていたからです。江戸では金、大阪では銀が貨幣として扱われます。金貨や銀貨だけでなく、砂金や切銀、小粒銀なども貨幣です。大量に使われた銅銭も重さを量ります。公平な取引証明を担保するには、江戸時代の方が現代よりも計量管理は重要だったというわけです。