横綱の重みを取り戻し、豊昇龍時代はやってくるか?

大関・豊昇龍の横綱昇進が少々物議を醸しています。

 

横綱昇進の目安は「大関で二場所連続優勝またはそれに準ずる成績」というものです。

 

1986年9月場所後に、相撲協会は大関で優勝次点と優勝決定戦負け(いずれも優勝は千代の富士)だった北尾(横綱・双羽黒)を横綱に昇進させました。隆の里が引退してから千代の富士の一人横綱が続いていたことが背景にあります。

双羽黒はいろいろトラブルを起こして、優勝経験がないままに、師匠と大喧嘩して部屋を飛び出して1987年11月場所後に廃業することになりました。横綱としては8場所で74勝33敗13休 勝率.692でした。

 

これに懲りた相撲協会は「大関で二場所連続優勝」という基準を厳格化したので、1990年の旭富士から2012年の日馬富士までの横綱昇進は全てこの基準に拠っています。

厳格に運用すると横綱になる力士が減ってしまったことから、25年振りの2014年に鶴竜が決定戦負け+優勝で横綱昇進を果たしました。

 

その後、稀勢の里、照ノ富士も準ずる成績でした。

そして、豊昇龍ですが、直近3場所で33勝しかしていないということで、大甘昇進と話題になっています。照ノ富士が引退して横綱不在の状況が後押ししたのは事実でしょう。

 


豊昇龍は元横綱朝青龍の甥です。二人の番付毎の成績を並べてみると、豊昇龍は少々見劣りします。貴乃花と白鵬も並べると、この二人は初土俵が15・16歳なので、三段目までは高校卒の朝青龍や豊昇龍に劣りますが、その後は圧倒しています。

 

横綱の成績
横綱の成績

「大関で二場所連続優勝」の厳格運用時期の横綱は8人です。

基準が緩和されてからの横綱は3人で、豊昇龍で4人目になります。

 

右の図のように、厳格期の8人は膵炎の悪化で短命横綱に終わった旭富士、横綱では優勝できなかった「お兄ちゃん」若乃花が少し残念ですが、残り6人はいすれも素晴らしい成績を横綱として残してます。

 

さて、横綱となった豊昇龍が奮起して、大活躍して豊昇龍時代を築くことができるかを期待して見ていきたいと思います。