フジテレビ記者会見。ジャーナリストといえば徳富蘇峰

フジテレビの記者会見は、日本のジャーナリストを名乗る者の質の低さをあからさまにした点で有益だったようです。

 

「ジャーナリストとは」と検索すると、スタディサプリという学生向け進路指導をするwebサイトに以下のようにありました<抜粋>。

 

ジャーナリストはメディアを通じて、物事の本質を見抜き、人々に真実を伝えるのが仕事です。取材やインタビュー、原稿執筆や映像作成、放送への出演などが具体的な仕事になります。情報収集や分析なども日頃から行い、深い知識と経験の蓄積、人脈がジャーナリストの仕事を支えます。

 

残念ながら、こういうジャーナリストの定義に適合した人はあまりいないのかなぁ?と疑いを持ちました。あるいは、ちゃんとしたジャーナリストはフジテレビの記者会見などには行かないのかも知れません。

 

徳富蘇峰
徳富蘇峰

東京に住んでいたとき、近所に山王草堂記念館があって、散歩がてらに行ってました。

 

山王草堂記念館は、日本のジャーナリストの草分けである徳富蘇峰が、1924年(大正13年)から1943年(昭和18年)まで住んでいた旧居です。

大田区が譲り受けて、公園と記念館として公開しています。入場無料で、たいてい閑散としているので散歩には好適です。

 

徳富蘇峰は幕末の1863年(文久3年)に、肥後国は水俣で下級武士の子として生まれています。

山王には、およそ60歳から80歳になって伊豆熱海に移るまでを過ごしました。

 

山王時代の蘇峰は、すでに主体がジャーナリストではなく、主として修史家として活動しています。蘇峰は55歳の1918年(大正7年)に着手した「近世日本国民史」全100巻を、1952年(昭和27年)に90歳にして完結しています。

 

明治から大正初めまでの蘇峰は、起業した民友社と、創刊した月刊誌「国民の友」、日刊紙「国民新聞」を通じて、明治新時代の混沌の中にある全国の国民を啓蒙し続けました。当時の日本国民の多くは、蘇峰学校に学んだ生徒たちとも言われます。

蘇峰は、明治日本の政治を動かした黒幕と言われることもあります。しかし、それは富や金の力ではなく、ペンの力で成し遂げられたものです。