ゴタゴタしているUSスチールのことを少し勉強してみましょう。
USスチールは1901年(明治34年)に誕生しています。この1901年は日本製鉄の前身である官営八幡製鉄所が操業開始した年でもあります。日清戦争が終わったのが1895年で、この賠償金を元手として八幡製鉄所はつくられました。日露が開戦するのが1904年ですが、ようやく生産が軌道に乗っていた八幡製鉄は、大量の武器弾薬をつくるために生産を拡張していきます。

さて、USスチールはカーネギー・スチールと、フェデラルスチールが合併して設立されました。
合併会社の鉄鋼生産量はアメリカ合衆国の2/3を占めました。株式時価総額は10億ドルを超え、アンドリュー・カーネギーは世界一の大富豪となりました。
20世紀前半、USスチールは米国が大国となる過程で、ビルや道路や橋やダムや自動車や船や家電や、そして武器や弾薬に向けて大量の鉄を供給し続けました。
世界恐慌を乗り越えて、二度の大戦において連合国の戦争遂行にUSスチールは大いに貢献します。第二次大戦が終結すると、米国内の建設ラッシュが到来して、1950年代にUSスチールは絶頂期を迎えます。
この頃、敗戦によって生産能力がゼロになっていた日本とドイツの製鉄会社が、急激に復活していきます。日本とドイツは、USスチールよりはるかに高品質な鉄鋼を、比較できないほど小さな労力とエネルギーでつくる技術を獲得しています。
USスチールは変革を余儀なくされます。大規模な多角化と再編をおこない、エネルギー業界に進出してUSXコーポレーションと社名も変わります。エネルギーに加えて、化学・農薬・鉱物資源などにも手を広げます。鉄鋼部門ではスロベキアに生産拠点を構築するなど海外進出もおこないますが、国内の生産は縮小を決断しました。
21世紀に入ると、中国製鉄産業が拡大して、世界的な鉄鋼生産過剰と低価格化がおこります。USスチールは大きな打撃を受けはじめます。2002年にUSスチールはUSXから分離して鉄鋼事業に注力することになります。USスチールは高炉から電炉へのシフトを進め、持続可能な高品質鋼の生産に舵を切っています。
USスチールのベストパートナーが日本製鉄であることは間違いないようです。但し、日本製鉄にとってもベストパートナーがUSスチールであるのかは少し疑問です。