会社も和製漢語。そもそも会社とは何だったか

このブログではときどきでてくる和製漢語です。「会社」も幕末につくられた新語です。

 

「社会」という単語は元からあったのですが、companyの訳語である「会社」は新しくつくられた単語です。「会社」を最初に使ったのは、蘭学者の杉田玄端(杉田玄白の曾孫)ですから、最初はオランダ語(Genootschap:ヘノートシャップ)の訳語だったということです。 

 

オランダ東インド会社
オランダ東インド会社

但し、江戸時代には現代の会社という組織形態が日本には無いので用語は混乱していたようです。「商社」「商会」「組合」「社中」「公司」「公会」「組合」「商人会社」などの単語や意味が入り混じって使われていました。

「商人会社」というのは、福沢諭吉の名付けです。 

 

会社という言葉が定着したのは、明治新政府が海外との競争力を高めるために民間資金が集まる通商会社・為替会社の設立を指導したことによります。明治3年に福地源一郎著の「会社弁」を発行し、明治4年には渋沢栄一著「立会略則」を大蔵省が発行しています。

「会社」という言葉が「商社」など他の言葉を駆逐して広まったのは、渋沢栄一の役割が大きかったようです。

 

「会社」「社会」というのは、少し不思議な言葉です。

両方に共通する「社(やしろ)」は神社のことですから、元々は地域の神社の集まって会う人々のことを「社会」と言ったようです。その概念が徐々に大きくなって、集まって生活する集団を社会というようになり、今では人が集まれば社会というようになりました。

 

「会社」は社会とひっくり返したのですが、意味はおよそ同じです。会社も、何かを中心にして、何人か何十人か何万人かの人たちが出会って活動するわけです。そこには土地の神さまのような共通した価値観があるはずです。その価値観が「社」というわけです。