プラスネジはプラスがいっぱいの優れた発明

展示会でネジ屋さんとお話しました。ネジにはプラスとマイナスがあります。 

 

ネジは元々マイナスしかありませんでした。プラスネジで世界最初に特許権を取得したのは日本人です。1906年(明治39年)に野口保という人が「十字形溝螺旋鋲」の名称で日本国の特許を取得しました。但し、画期的な発明ではありましたが、ネジ頭の形状だけ示されていて、ネジを回す工具などには触れていません。

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プラスネジとマイナスネジ
プラスネジとマイナスネジ

実際にプラスネジが使用されるようになったのは、1936年(昭和11年)にアメリカでフィリップス・スクリュー社が、プラスねじの特許を取得して販売をはじめたときからです。この特許にはドライバーがちゃんと示されています。

 

フィリップスのプラスネジは大いに普及しました。アメリカでは今でもプラスネジのことをフィリップスという人がいるそうです。

 

日本では翌々年の1938年(昭和13年)に大沢商会がフィリップスと特許契約を結んで国産化が始まります。その後は戦争の時代になって、プラスネジの生産は縮小します。ゼロ戦や戦艦大和に使われているネジは全てマイナスネジです。

 

戦後になってプラスネジの国内製造が復活してきます。トープラ(旧社名は東洋プラススクリュー)のWebサイトによると、1950年(昭和25年)に会社を設立して、プラスネジの生産を始めたとあります。

 

ところで、プラスネジの伝説としては、ホンダの本田宗一郎が訪米した際にフォードやGMの工場を見学してプラスネジ(クロスネジ)が優れていることに気づいた。宗一郎は工場に落ちていたプラスネジをこっそりポケットに入れて日本に持ち帰り、プラスネジの生産を促したことがプラスネジの国産化につながった、というのがあります。<訪米じゃなく訪欧だとか、いろんなバリエーションがあります>

 

本田宗一郎の訪米は1952年末のこと(訪欧は1954年)だったそうで、このエピソードはちょっとした都市伝説のようです。

1952年にホンダが生産したF型カブ(スーパーカブの前身)にもプラスネジが使われており、ホンダは東洋プラススクリュー(トープラ)からプラスネジを調達していたそうです。

 

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