すべてはサステナブルのために、次の1万年への挑戦

サステナブルは持続可能な、サステナビリティは持続可能性という意味です。

 

SDGsのSはサステナブルです。持続可能な複数の開発目標を提示したものです。何故、カーボンニュートラルに取り組まなければならいかというと、有限な資源である化石燃料の使用を続けて、温室効果ガスの大気中への放出を続けることが、サステナブル(持続可能な)ことではないからです。現代において社会の最大のキーワードは「サステナブル」です。 

 

黙示録
黙示録

「サステナブル」は大前提なんですが、これって結構新しい概念のように思います。

ほんの僅か以前でも、社会や文明が持続可能であるという考え方を人類が持ってはいなかったでしょう。

 

キリスト教新約聖書、ヨハネの黙示録には世界の終末と最後の審判が書かれています。

日本でも、平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は誰でも知っています。

 

そもそも、自然人である人間が現時点ではサステナブルではありません。人生100年時代といっても有限ですし、いくら願っても不老不死を獲得することはできません。古今東西、衰えること、滅びることを回避できた文明はありません。繁栄の先には不可逆的な衰亡が必ず待っています。文明の誕生からおよそ1万年の長い歴史を経て、人類がはじめてサステナブルな社会を意識することができるようになったのが、現代というわけです。

 

安全保障も少子高齢化対策もすべてはサステナブルへの道です。会社や法人も事業承継や引き継ぎを適切におこなえばサステナブルです。

ただし、サステナブルへの道は平たんとは限りません。上り坂もあれば下り坂もありますし、おやじギャグなら「まさか?」もあります。それを全て包括してのサステナブルと心得ることも大事でしょう。

 

いつまでサステナブルであるべきか?ですが、今までが1万年なんですから、やはりこの先1万年を目指していくんだと思います。1世代を30~40年とすれば300世代くらいの未来です。遠いようで近いのかも知れませんね。