ドーピングとオリンピックの関係(その2)

昨日の続きで、オリンピックでのドーピングの歴史です。

 

1968年の夏季メキシコ、冬季グルノーブル大会からドーピング検査が導入されました。このときの禁止薬物は、麻薬・覚せい剤・興奮剤の30種ほどでしたが、事実上はアンフェタミン摂取の有無を検査しているようなものでした。

 

ベン・ジョンソン
ベン・ジョンソン

ドーピング検査を導入した当初は検査で陽性となる選手がいたのですが、そのうち検査で陽性になる選手がいなくなりました。

これは、ドーピングする選手がいなくなったわけではなく、検査をすり抜ける方法が広く知られるようになっただけでした。

 

そして、1988年のソウルオリンピックでカナダのベン・ジョンソン選手がドーピングによって世界新記録で獲得した陸上100mの金メダルをはく奪されるという大事件が起こりました。

ベン・ジョンソンが使用したのは筋肉増強剤です。男性ホルモンに似たステロイド剤を摂取していました。

 

同じ1988年のソウルオリンピックで女子3冠(100m・200m・400mR)を獲得したのはフローレンス・ジョイナー選手です。

ジョイナー選手は当時のドーピング検査では陽性にはなっていませんが、薬物使用疑惑が掛けられています。そして、ジョイナー選手は1998年に38歳の若さで睡眠中に急死しました。ジョイナー選手が1988年に出した100mと200mのベストタイムは今に至るも更新されていない世界記録です。

 

1999年に国際アンチドーピング機関(WADA)が設立されて、アンチドーピングの国際的な枠組みが確立されようとしています。

2015年にWADAの独立委員会が、ロシアが国家ぐるみでドーピングを行ったと認定しました。ロシアのアンチドーピング機関は、検査の前にコーチや選手に検査をすることを事前に伝えており、検体の取り換えや、万一陽性となった検体は廃棄するなどの実態が紹介されました。

 

この結果、2018年のピョンチャンオリンピック、2021年の東京オリンピック、そして今回の北京オリンピックに、ロシアは国として参加できていません。

そのなかでの15歳のフィギュアスケート選手へのドーピングでした。IOCの拙い対応もあって、今後も長い影響が続きそうです。

大人たちが自らの利益のために、幼い子どもに、その子の健康や将来を顧みず、薬物を投与しているということであれば、心が痛みます。