ドーピングとオリンピックの関係(その1)

フィギュアスケートのワリエワ選手のドーピング検査陽性が報じられています。

 

どうも報道の内容(3種類の薬剤を混合して接種していた?)から推察すると、ワリエワ選手が単独で薬物接種をしたわけではなく、コーチや医師を含むスタッフが組織として関与しているようです。ワリエワ選手は組織ぐるみのドーピングがおこなわれていたロシアが選出して、建前では個人の立場での参加(ロシアオリンピック委員会)です。

 

ドーピング
ドーピング

ドーピングの歴史はかなり昔のようで、古代の時代に遡りそうです。競技者が興奮作用のある薬草などを使っていたようです。

 

近代で最も古いドーピングの記録は、1865年のアムステルダム運河水泳競技大会で覚せい剤が使用された事例です。

ドーピングでの最初の死亡者で記録にあるのは、1886年のフランス自転車競技大会で興奮剤を使用した選手です。

この時代のドーピングは主にコカインやアヘン、ストリキニーネなどの興奮剤を使っておこなわれていたようです。

 

1900年代に入ると、ストリキニーネに筋肉増強効果があることもわかってきて、頻繁に使われるようになりました。1904年のセントルイス・オリンピック(第3回大会)のマラソン金メダルのイギリス・ヒックス選手はレース中にストリキニーネと生卵とブランデーのカクテルを摂取していたそうです。タイムは3:28:58でした。

その後もドーピングの危険性は認識されていましたが、無くなることはありませんでした。

 

1936年のベルリンオリンピックではナチスドイツが国威発揚のために国ぐるみのドーピングをおこないました。このときに使用されたのはアンフェタミンです。

戦後になるとオリンピック憲章でドーピングは禁止されはしましたが、使用は後を絶ちませんでした。

 

1960年のローマオリンピックでデンマークの自転車競技に出場した選手がレース後に急死しました。死亡後に体内からアンフェタミンが検出されました。

これをきっかけにして、ドーピング検査が正式に導入されるのは1968年のメキシコオリンピックと冬季のグルノーブルオリンピックです。つまり、オリンピックからドーピングを排除されるようになったのは、意外に最近のことなんですね。