洋の東西を問わず、昔の人は、「死んだら何か他のものに生まれ変わる」と信じていました。
実に不思議なことです。それも、人が死んだら別の人に生まれかわると考えるようになったのは割と最近のことです。古くは人が死んだら動物や魚や爬虫類などに生まれかわると考えていたようです。生まれ変わるとしたら、牛・犬・ネズミなどが多いようです。魚だと、フナやナマズなど川魚が人気です。比較的身近なものですね。
![動物に生まれ変わる](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/sa3592213af7de219/image/i611a51364889b18b/version/1643087314/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%8B.jpg)
この考え方は、たいていの宗教で同じです。
死は無になることではなく、輪廻転生を続けて新たな生を受けて再生し続けると考えました。
ずっと生き続けられるなら幸せなようですが、特に西洋では生きることは苦役です。いつの日にか、この果てることのない輪廻から解放されて、天国で永遠の休息を得ることが多くの信者さんの望みです。
キリスト教では、アダムとイブが、楽園で「知恵の木の実」と「生命の木の実」のうち、知恵の木の実しか食べなかったとされています。知恵の木の実は禁断のもので、神様は決して食べてはならないと言っていたのに、狡猾な蛇に騙されたアダムとイブは、手を伸ばして齧ってしまうのです。
しかし、古くから人々は、生命の木の実を食べずに知恵の木の実を食べたアダムとイブに感謝しています。
もし、永遠の生命を得たならば、どれほど苦しいことが起こるかわかりません。老いさらばえて、呆けたままで永遠に生き続けるのは嫌です。どこかの時点で生を終えて、何かに生まれ変わりたいと考えたわけです。
生まれ変わりと言えば、伝統的な芸術も同じような意味があります。
コロナ騒動で遅れていますが、海老蔵さんが近く襲名する市川團十郎は十三代目です。亡くなった勘三郎さんは十八代目でした。落語家でも林家正蔵さんは九代目ですし、現在の酒井田柿右衛門さんは十五代目です。商売でも、人形の吉徳の当主は十二代目山田徳兵衛さんで、お茶の山本山は九代目山本嘉兵衛さんです。
もちろん、世界で最も長く続いている日本の天皇家、今上天皇は百二十六代に当たります。
会社・法人という発明は画期的です。法人は人格を持ちますが、自然人ではないので死にません。永遠の生命を得て、老いることも呆けることもなく、生き続けることが可能です。経営者としては、そんな会社を目指さないといけませんね。