シャクルトンの求人広告。驚きの後日譚

今日の講習で「シャクルトンの広告」というのを習いました。世界で最も有名な求人広告として知られているのだそうです。

 

「求む男子。_至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の続く日々。絶えざる危険。生還の保証なし。_ただし、成功の暁には名誉と称讃を得る。」アーネスト・シャクルトンが1914年にロンドンタイムスに出した、「南極探検乗組員募集」の求人広告です。

 

南極探検シャクルトン隊
南極探検シャクルトン隊

報酬は安く、危険はいっぱいという求人広告をみて、なんと5000人の男子が応募したそうです。

 

今日の講習では、求人広告で示す報酬には「外的報酬」と「内的報酬」がある。「外的報酬」は、給与、休日・休暇、福利厚生など具体的な報酬のこと。「内的報酬」は、やりがい、充実感、自己の成長など形に表せない報酬のこと。

シャクルトンの広告は、内的報酬を的確に表現して、最高の結果を得た大傑作です。

 

そこで、シャクルトンの南極探検について調べてみると、ビックリです。

シャクルトンは第一次世界大戦が勃発した1914年に、南極大陸縦断を目的として、27名の隊員を汽船エンデュアランス号(endurance:忍耐、我慢、辛抱)に乗せて南極へと向かいます。ところが、大陸に到達する前に流氷原に船はつかまり、それから10か月も閉じ込められます。

 

ついに、船は壊れて沈没してしまい、シャクルトン隊は僅かの食料と荷物を、犬ぞりと救命ボートに載せて流氷のうえを4か月半も彷徨います。食料も得られず、犬ぞりの犬も食べてしまったシャクルトン隊は救命ボートで陸地を目指します。

 

氷点下30度の氷の海を7日間漂った救命ボートは無人のエレファント島に到達します。無人島にいても、生きながらえることはできないと判断したシャクルトンは5人の部下を連れて、一番ましな救命ボートで人の住む島を目指して船出します。残りの22人は残りの2隻のボートを解体して簡単な小屋をつくって、この地で救援を待つことになります。

 

14日間かけて荒れた海を越えたシャクルトンはサウス・ジョージア島の南岸にたどり着きます。島で人が住むの北岸だけで、シャクルトンが着いた側とは反対です。島の南北は標高3000m級のアラーダイス山脈で分けられています。シャクルトンたちは、この山岳地帯を踏破して、ついに捕鯨船の基地にたどりつきます。

 

シャクルトンはすぐに船を手配して、エレファント島に22人を援けに出発します。この救援は2度目の冬を迎えている氷の海にはばまれ失敗します。決してあきらめないシャクルトンは、4度目の挑戦で、ついに22人を助け出します。22人は4か月半を、シャクルトンが援けに来ることを信じて、無人島で耐えていたのです。

 

シャクルトンの南極探検は、広告の前段には偽りなく、「至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の続く日々。絶えざる危険。生還の保証なし。」でした。しかし、成功の暁は来ず、完全な失敗に終わりました。シャクルトンと27人が、どんな名誉と称讃を得たのかは知りません。

 

1年半の氷の海での苦闘の末、1人の犠牲者も出さず、イギリスに隊員全員を連れ戻ったシャクルトンのリーダーシップには驚きます。関連した本を 少し読んでみたいと思います。 

 

※シャクルトンの広告は、どうも後世の創作だったようです。