楊貴妃の墓は八木さんち(家)の墓?

以前、山口県には楊貴妃のお墓があるというお話を書きました。

☞ 2021/06/02 山口県には楊貴妃の墓がある

 

ちょっと追加で楊貴妃のお話です。調べてみると、楊貴妃伝説というのは日本各地にあります。一番有名なのが山口県油谷にある楊貴妃のお墓だと思うのですが、他には愛知県の熱田神宮や熊本県天草下島などがよく知られています。

 

熱田神宮の伝説は、唐の玄宗皇帝が日本を侵略しようとしたので、日本の神さまたちが集まって相談をした。その結果、熱田神宮の神さまが楊貴妃に化けて、色仕掛けで皇帝が日本を攻めるのを止めさるという作戦を立てた。その作戦は成功したうえに、皇帝は内乱で都を追われることになった。そこで、役目を終えた熱田の神さまは、元の熱田神宮に帰ってきた。

 

なかなか壮大で、そのままマンガか何かの原作に使えそうです。

 

天草の伝説は、島の山奥にいつの頃から美しい女性が住むようになった。あるとき、島では原因不明の疫病が流行ったが、女性がくれた薬を飲むと皆助かった。女性は、自分は楊貴妃であり皇帝が迎えにきてくれるのを待っていると言った。それから、ほどなくして島には大雨が降り雷鳴がとどろき、山から竜が舞い上がるのが目撃された。山には、女性の姿はすでになく、代わりに竜の穴があり、香袋が残されていた。

 

実は、天草下島には大陸との航海で難破した船がしばしば漂着しているという事実があり、地理的に楊貴妃が漂着する可能性が全くないとはいえません。

 

山口県長門市油谷 二尊院の楊貴妃の墓
山口県長門市油谷 二尊院の楊貴妃の墓

さて、山口県長門も、地理的には楊貴妃が漂着してもおかしくはない位置です。しかも、何しろ楊貴妃のお墓が実際にあります。

 

このお墓ですが、実は八木さんという家のお墓かも知れないという説を聞きました。

古代にこの地に八木氏が住んでいたが、奈良時代には名前に好字を使う習慣がうまれた。

そこで、八木(ヤギ)に楊貴という字を当てたものだということです。

楊は柳(ヤナギ)の意味で、一文字でもヤギと読めますが、さらに好字である貴を加えたということです。

 

例えば、山口県には美祢(美禰:ミネ)という美しい名前の町がありますが、もとは岑(ミネ)でしたが、奈良時代に好字を当てて改名しています。

 

尚、八木氏が楊貴と改名した時期は、楊貴妃が玄宗が皇帝になった(740年)より時を遡るだろうということです。

まぁ、これも確かかどうかはわかりません。伝説は伝説として残しておくほうがいいわけで、ちょっとゲスな話でしたね。

 

それでも、絶景の楊貴妃の里です。お墓参り?に・・おいでませ!山口へ

☞ 龍伏山天請寺二尊院のwebサイト