新型コロナ禍、そろそろ国境を開こう!

新型コロナ感染症での国境閉鎖も3月初めからなので、もうすぐ3か月になります。

 

疫病が怖いのはもっともなのですが、経済を回すだけでなく、不健康な国家主義の蔓延を予防するためにも、そろそろ国境を開くべき時期が来ていると思います。日本にいると、マスコミは日本国内の状況を1000倍に拡大して放送しますが、海外の状況は比較的まともに流しています。日本からの感染者の流出を防ぐことで、国境を開くという社会的合意はとれそうです。

 

遣新羅使
遣新羅使

いくらマスコミが煽っても、日本で新型コロナ感染症が蔓延していないという事実を変えることはできません。

欧米では、日本の1000倍レベルの感染による有症者がいますが、それでも経済活動は動き始めています。

 

日本はそろそろ国境を開くべき時だと思います。感染症=疫病というものが広がるのは、集団免疫が無いからです。免疫が無い理由はその地域で感染が広がったことが一度もないか、ずっと昔で世代が代わっているか、のどちらかです。

 

したがって、感染症は海外から来るか、動物から伝染するかのどちらかでしか広がりません。日本で記録に残っている最初の感染症は古墳時代ですが、朝鮮半島から伝えられた牛か馬から伝染したと予想されています。それまで、日本に牛も馬もいなかったのです。飛鳥時代や奈良時代の感染症は、人や動物の朝鮮半島との往来で広がったことが分かっています。

 

天平8年(736年)に平城京を出発した阿部継麻呂を大使とする遣新羅使は、新羅への入国を拒否されます。当時、新羅では感染症(天然痘?)が流行していたのです。仕方なく、帰国の途についた使節団一行ですが、既に船の中で感染が広がっていました。継麻呂は途中の対馬で亡くなり、副使の大伴三中も発症して奈良の都の外で隔離されます。

それでも、この感染症は、当時の政権中枢に蔓延して、殿上人(昇殿を許された五位以上の人)の4割が亡くなるという事態になりました。亡くなった人が4割ですから、ほとんどみんなが発症しました。政権は壊滅です。

 

当時の日本でも、朝鮮半島(あるいは中国大陸)に行くことは感染症の危険があることはよくわかっていました。実際に疫病をもたらすということで、朝鮮人をはじめとする外国人への排外的な行為もあったようです。それでも、朝廷は遣新羅使を廃止するということはなく、天平12年(740年)には紀必登を大使とした使節団を派遣しています。

 

尚、その後も遣新羅使などが朝鮮への入国を許可されなかったことがありますが、半島で疫病が蔓延していたからだという説があります。つまり、国境を閉ざすのは、自国から感染症を輸出することを避けるという目的に絞るのです。感染症を入れないという水際対策というのは、基本的に考え方が間違っています。

 

日本が国境を越えて送り出す人は、感染症のリスクが無いか相応に低い人だけにします。それを日本国は保証します。皆さんの国も同じようにしてください。そういう対応(それぞれの国は感染症を輸出しない)をきちんとしたうえで、国境を越えた往来をしていきましょう。と呼び掛けるのが正しい行いだと思います。

 

都道府県をまたいだ移動を制限するなんて、奈良時代でもしませんでした。日本はワンチームですし、世界も一つでしょう。わかりきったことですが、感染症を封鎖すると、医療崩壊が起きて悲惨なことになります。

21世紀は地球外からの疫病に備えるくらいの時代になっているように思います。宇宙のなかの小さな地球にみんなで住んでいるわけです。

 

<新型コロナ禍の初めころのブログ・・基本的な考えは変わらない>

2020/02/23 新型感染症、”国境を閉ざす”は間違い

2020/01/31 新型コロナの輸出国にならないことが大事

 

※尚、天平の感染症の大流行には諸説あります。当時の日本人口の30%が亡くなったという説などもありますが、さすがに間違いでしょう。このとき、殿上人の4割が亡くなったのは、史料から明らかなのですが、全てが感染症が原因かどうかは(過労死?)はわかりません。