人が生活するうえで、完全なノーリスクを追求することは不可能です。
どのような活動でも、リスクは何かしらあります。また、何の活動もせずに自宅でじっとしていたとしても、リスクはあります。むしろ、じっとしていることで健康上のリスクを高めている可能性もあります。ゼロリスク=完全な安全性を求め続けることは必ずしも正しい考え方ではありません。

近年、新型ウイルス、大震災、国際的経済ショック、ウクライナや中東で勃発したような国際紛争などの大きなリスクだけではなく、日常生活のなかでの怪我、病気、事故など私たちは様々なリスクにさらされています。
テレビやインターネットに、ゼロリスクを訴えるコメンテーターが登場します。
彼や彼女は、多くの場合、政府にゼロリスクの達成を求めたり、約束することを迫ります。ナンセンスなことですが、誰かに責任を転嫁するような発言は、一定の共感(視聴率)を獲得します。このため、同じコメンテーターが、続けて番組に登場します。
ゼロリスクを求める人は、軽い言葉で言えば心配性なのでしょう。実際に、心配で不安で怯えている人たちも多いです。結果として、精神を病む人も出てきます。
生活することには、そもそもリスクがあると割り切ることで、精神は落ち着き、QOLは向上していきます。わざわざリスクを取りに行くことはないですが、どんなリスクも受け入れられないと考えるのは避けたいです。
一方で、リスクを恐れる人の不安を緩和する努力も必要です。
様々なリスクには、それに対処し管理する機関や組織があります。新型ウイルスに限らず疾病では、厚労省、感染研、製薬会社、病院、診療所などが対処し管理します。震災や事故では、警察、消防、海上保安庁、自衛隊などもリスクに対処する組織です。
これらの組織を信頼できるならば、人々の不安は緩和されます。
ただ、これらの組織の信頼性に疑問を持たざる得ないような事象がしばしば報道されます。この報道が、また少々過剰というかエキセントリックな感じがします。どんな組織でも、多人数のなかには問題を起こす人がでてきます。
組織的な問題であれば当然に報道する必要があります。しかし、個人的な軽微な事件まで盛大に取り上げなくてもよいような気がします。
・・ちょっと愚痴でした。
