オリンピアンに花粉症は禁物~日本最初のメダリストの受難

ミラノコルティナオリンピックが閉幕して、帰国したメダリストたちがテレビ出演して興味深いエピソードを披露しています。 

 

日本で最初のオリンピックメダリストは三段跳びの織田幹雄さんと思っていました。しかし、織田さんは最初の金メダリスト(1928年 アムステルダム五輪)です。メダリストとしては、その8年前の1920年アントワープ大会のテニスシングルスで熊谷一彌が、ダブルスで熊谷一彌・柏尾誠一郎のペアが、いずれも銀メダルを獲得しています。

 

熊谷一彌は1915年に慶応義塾を卒業して三菱銀行に入行します。入行後半年ほどでニューヨーク支店勤務となって、アメリカでテニスに打ち込みます。1919年に全米ランキング3位となって、翌年のオリンピック出場につながりました。

 

翌1921年に、日本は初めてデビスカップに参加します。熊谷と一橋大学を卒業後に三井物産のニューヨーク支店に勤務していた清水善三のペアです。

日本チームは12か国が参加したプレーオフでフィリピン・ベルギー・インド・オーストラリアを破って、アメリカとのチャンピオンマッチに進みます。

 

日本はアメリカに敗れて銀メダルということになるのですが、このとき熊谷は酷い花粉症の症状が出て苦しんでいたそうです。当時、日本では花粉症は認知されておらず「枯草熱」と呼ばれていました。もちろん治療薬も対処法もありません。もちろん、花粉症でなくてもアメリカに勝てなかったかもしれませんが、やはり悔いは残ります。

 

日本に花粉症が登場するのは1960年頃のことですが、1920年頃からアメリカでは花粉症を訴える人が徐々に増えていたそうです。日本初のオリンピックメダリストは日本初?の花粉症患者だったわけです。