朝日新聞の記事。『日本史に「山口時代」を設けよう――。トーマス・コンラン米プリンストン大学教授が24日、山口市で講演し、こんな案を提唱した。』
記事によると、1465年から1551年までの87年間を『山口時代』と呼んではどうかという提案です。この87年間は日本の中心は応仁の乱で荒廃していた京ではなく、西の京・山口にあったという主張です。特に欧州で、山口が日本の事実上の首都と認められていたということが「山口時代」の根拠になっています。

1465年は大内政弘が大内氏の家督を継承した年です。その2年後の1467年に応仁の大乱が始まります。
1551年は陶隆房によって大内義隆が攻められて長門大寧寺で自害した年です。2年後の1553年に川中島の戦いが起こり、さらに2年後の1555年の厳島合戦で毛利元就が陶軍に勝利します。
アメリカ人の研究者による説ではありますが、山口市での講演なので盛大なリップサービスです。この時代に、大内氏が日本を支配していたわけでもないですし、荒廃したといっても京は都の威厳を保持していました。ただ、山口を拠点とした大内氏は、明や朝鮮さらに東南アジアとの貿易を支配していました。
防府市の毛利博物館に「日本国王之印」が収蔵されています。中国・明から室町幕府・足利義満に与えられたものですが、大内氏が使用していました。大内氏滅亡後に、この印の重要性を認識していた毛利元就が継承して毛利家の家宝としたそうです。
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