昨日の続きです。岐阜城に行きました。ちょっと新鮮な驚きです。
岐阜城は斎藤氏の居城だった時代は稲葉山城です。信長が中国の故事にならって、稲葉山城から岐阜城(町の名前は井口から岐阜)に改めました。岐阜城は金華山(稲葉山)の山頂にある山城です。初めて行ったのですが、岐阜城天守閣らの景色は、瀬戸内海に育った私たちには、まさに圧巻でした。

岐阜城(金華山)は濃尾平野の北(黄色のマーク)にあり、標高329mとかなりの高さがあります。
木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)がつくる広大な濃尾平野が一望できます。ここrからは、扇状地や三角州の成り立ちがよくわかります。川の恵みによってつくられた肥沃な土地であることが実感できます。さらに、遠く伊勢湾まで見通せて、中京工業地帯の埋め立てや港湾の様子まで伺えます。
戦国の世に、岐阜を制する者が天下を制すと言われていたのは当然です。経営統治において、広く俯瞰して全体を把握できる立地は最重要な要素です。
もちろん平野の面積では、関東平野や北海道の石狩平野などがずっと広いのですが、私たちに馴染みのある広島太田川デルタの60倍という広さには圧倒されます。山口県には、ほぼ平野というものが無いのでちょっと嫉妬です。
