「若手社員を花見に誘ったら残業代はでますか?って訊かれて驚いたんだ」って、お客さんがこぼしていたと、今朝行った散髪屋さんで聞きました。
あなたの会社はどうだったですか?と問われたので、まぁ残業代はでなかったとは答えました。今年も、近隣の公園などで、盛大にお花見をしている様子があまり見受けられません。新型コロナ騒動で4年間もお花見をしていなかったものですから、今年改めて企画しようという元気な会社も少ないのだろうと思います。
一応、公式な話をすると、会社がお花見への参加を強制した場合、それが勤務時間外の開催であれば、勤務時間外手当を支払う必要があります。
会社側が、これは労務の提供ではないから残業に当たらないと主張しても、社員を契約時間の範囲を超えて、拘束できません。
勤務時間外の社員に対して強制的に時間拘束をするのであれば、対価としての賃金を支払う義務を負います。
散髪屋さんから、お花見の費用は会社が負担していたの?とも問われました。散髪屋さんでは、お店の人とお花見するときは、店主さんが全ての費用を出すそうです。
よその会社のことは知りませんが、新入社員は免除としても、普通は会費制で、但し役職や男女で会費の金額が異なっていたと答えました。
すると、散髪屋さんから、今どき男女で会費を分けちゃダメじゃない? 男性が女性よりたくさん飲み食いする時代じゃないよって。なるほど、そうだなとは思いました。
私も会社を離れて長いですし、散髪屋さんも大人数の職場の様子がわからないので、この話はこれで終わりなんですが、実際のところはどうなんでしょうね?
さて、日本で最初のお花見は、弘仁3年(812年)の嵯峨天皇が京都神泉苑で催した「花宴の節」と言われています。
日本後紀に「幸神泉苑 覧花樹 命文人賦詩 賜綿有差 花宴之節始於此矣」とあります。意味は、(嵯峨天皇が)神泉苑に行幸して、桜の樹をご覧になり、文人に詩を作るように命じ、出来栄えによって褒美を下賜したのが、花宴(お花見)の始まりです。ということです。
嵯峨天皇のお花見には、必ず賦詩があります。今の気楽なお花見と違って、文人や公家にとっては、詩作や書の実力を試される場でもあったようです。何しろ、嵯峨天皇は空海、橘逸勢と共に三筆と称される文芸の天才ですから、プレッシャーも強そうです。
公家や文人も時間外手当もつかないでしょうから、少しは渋々でしょうが、参加しなけりゃならなかったのでしょうね。
嵯峨天皇が花宴を創始したのは、天皇が文芸に力を入れたということもあるのですが、この頃の日本が政治経済的に安定したいったというのも理由です。
嵯峨天皇の父、桓武天皇(在位781~806年)は、肥大化した奈良仏教の影響を避けるために長岡京、さらに平安京への遷都をします。また、坂上田村麻呂などによる3度の蝦夷征討を行ったので、経済的な困窮に陥っていました。
桓武天皇の後を継いだ平城天皇(在位806~809年)は、節句祝などは縮小して、民力休養に努め、経済の回復に尽力します。
平城天皇から後を継いだのが異母弟の嵯峨天皇(在位809年~823年)です。
嵯峨天皇が最初の花宴の節をおこなった812年には、平安京の経済力も一定程度回復してきていたというわけです。その後も、嵯峨天皇の治世は比較的安定した時代となり、花宴の節は毎年の行事になりました。
経済がしっかりしないと、お祭りもできないというわけです。