銭湯の湯はエネルギー。大事に使おう

銭湯の起源は仏教での「禊(みそぎ)」だそうです。 

 

その後、病人を湯につけて温める施浴という治療法が普及していきました。これが、一般の人にも広まっったのが鎌倉時代の中頃のことのようです。銭湯というのは、徳川家康によって江戸に人が集まるようになった天正年間(1591年)に、伊勢与市という人がはじめたものだそうです。河原につくった小屋を蒸し風呂にして、銭1文で入れるサービスだったようで、浴槽はありません。

 

銭湯(東京銭湯のwebサイトから)
銭湯(東京銭湯のwebサイトから)

江戸時代を通じて、一般の銭湯は蒸し風呂で、狭くて暗かったようです。浅く湯を張った浴槽から立ち上る蒸気を逃がさないように板で囲った構造で、出入り口も低くつくられていました。

 

その頃には、温泉が自噴しているようなところでなくては、お湯をふんだんに使うといった、ぜいたくなことはできなかったのです。 今の銭湯のような開放的な構造が可能になったのは明治維新から少し時を経てのことです。さらに、銭湯の床がタイル貼りになり、湯水のカランがついて、下駄箱があり、番台があり、といった想像する銭湯の形式になるのは昭和に入ってからのことです。

 

私が生まれた頃は、自宅に内湯はなかったので近所の銭湯に行っていました。その頃は銭湯がたくさんあったようです。日本の銭湯の数のピークは昭和43年(1968年)で、全国に1万8千軒もあったそうです。

ただ、その頃から自宅にお風呂をつくる家がどんどん増えていていきます。内湯も最初は薪を焚いていたのがガスになり、給湯機に変わりました。いつでも自宅で入浴できるようになって、銭湯はあっという間に少なくなりました。

 

あっという間に廃れた銭湯ですが、昭和の終わり頃になると、健康ランドやスーパー銭湯のようなかたちで復活していきます。温泉を掘るのもブームになって、バブル期にはかなりの数の施設ができましたが、長続きせずに閉じたところも多いです。長く経営を続けている銭湯やスーパー銭湯は、独自の魅力と努力でしぶとく生き残っているわけです。

 

スーパー銭湯を含む銭湯は、コロナ禍で苦境に陥り、直近はエネルギー価格の高騰で収益を損なっています。日本人は、湯船からお湯を盛大に溢れさせて満足するところがあります。かけ流しを謳う温泉施設も人気です。

 

確かに日本は水の豊かな国なのですが、エネルギーは乏しい国です。お湯はけっして水ではなく、エネルギーなので大事にしなければなりません。そのことに気づかないと、いよいよ銭湯が絶滅してしまうかも知れません。