核兵器の恐ろしさは①爆風+②熱線+③放射能

私の場合、中学卒業時で戦後30年です。つまり、広島と長崎への原爆投下から30年です。中学と高校の両方で、担任の先生が原爆に遭った方でした。

 

核兵器廃絶・核無き世界という理念は正しいのですが、何か大きな誤解があるような気がします。それは核兵器=放射能という誤解です。核兵器廃絶というのは、無差別な大量殺戮を引き起こす巨大なエネルギーを放出する兵器の使用を禁止するということです。広島や長崎の原爆で失われた人命の多くは放射能で失われたわけではありません。

 

広島県「原爆被害の実態」より
広島県「原爆被害の実態」より

広島原爆はTNT火薬1万6千トン分(長崎原爆は2万1千トン分)のエネルギーを瞬時に放出しました。

 

広島県の資料によると、次のように整理されています。

 

放出されたエネルギーは、爆風50%、熱線35%、放射線15%の割合であった。

数十万気圧の超高圧が発生し、衝撃波が超音速で大気中を伝播し、爆風は風速280メートルに達した。【爆風】

爆発で生じた火球の温度は数百万度に達し、地表温度は3000℃を超えて、大量の熱線(赤外線)が放射された。【熱線】 

原爆放射線は、爆発の瞬間に放射される初期放射線、1分以降に核分裂生成物から放射される後期放射線に分けられる。放射線の一部が土壌などに降下して残留放射線の原因となった。【放射線】 

 

被爆時、広島市の中心部には20万人近くの人がいて、実に過密な状況でした。この人で溢れる都市のど真ん中に、原爆が投下されたわけです。

広島原爆での死者数は約14万人(昭和20年末時点)に達します。死者の95%は爆心地から2㎞以内で発生しています。

 

この範囲では人も建物も、爆風で吹き飛ばされ、熱線で燃え尽きました。その外周部にいた人も熱線熱傷を受け、建物は自然発火して焼失しました。

 

この圏内では人命を奪うレベルの高濃度の放射線も放射されているのですから、確かに放射線は死因の一つではあります。ところが、日本人の多くが、原爆の恐ろしさを放射線の恐ろしさと同じと誤解しているように思えます。

 

昭和20年3月10日の東京大空襲では、焼夷弾攻撃によって8万4千人の民間人が亡くなっていますが、空襲の被害という意味では東京も広島もあまり差異がありません。広島・長崎の被災者は被爆者手帳が交付され手厚い保障があって、その他の空襲での被災者への救済があまり顧みられなかったのは、今となっては少し不合理な気がします。

 

福島の復興の状況をみると、放射線に対する過度な(科学的合理性に欠ける)恐れが、社会政策的な失敗に繋がっているような気がして仕方ありません。広島・長崎は不幸な出来事ですご、多くの有用な疫学データを提供してもいます。爆心地2㎞の外では、除染などおこなわれなかったにも関わらず重篤な放射線障害はあまり確認されていません。残留放射線の影響については、正しく恐れることが大事なように思います。

 

参考に広島市の国勢調査等での人口推移です。昭和19年:34.3万人→昭和20年:13.7万人→昭和21年:17.2万人→昭和22年:22.4万人→昭和25年:28.6万人。

 

昭和19年に34.3万人だった人口は、1年後には原爆被害者14万人を含めて約20万人減って13.7万人になりました。しかし、終戦後の僅か5年で人口は倍増して昭和25年には28.6万人となり、10年後には昭和30年には戦前ピークを超えて35.7万人、昭和35年には43.2万人となりました。放射能汚染で70年間は草木も生えないと言われた広島ですが、復興のスピードは急速でした。

福島原発事故から12年が過ぎたのですが、広島の爆心地に旧広島市民球場が開場したのは、昭和32年。原爆投下から12年目のことです。

 

☞ 広島平和記念資料館のwebサイト

☞ 環境省webサイト 放射線健康管理