コトラーの競争地位別戦略~昭和の経営戦略のおさらい③

昭和の経営戦略をおさらいです。3日目は1980年(昭和55年)コトラーの競争地位別戦略。

 

業界内での地位を、相対的経営資源の質×量という切り口で、リー ダー,チャレンジャー,フォロアー,ニッチャーに分類し,それぞれの競争地位に則した戦略をとるというものです。40年以上、マーケティング戦略では必ず取り上げられています。

 

競争地位別戦略
競争地位別戦略

経営資源の質も量も最大なのがリーダーです。リーダーは経営資源で最強なので、これを活かして最大の市場シェアを確保しています。リーダーには、確保している市場シェアを永く維持するための戦略があります。

 

先ずは「同質化」です。競争のなかでリーダーに戦いを挑むチェレンジャーやニッチャーは、新規性のある魅力的な商品を市場に投入してきます。リーダーはそうした競合商品を徹底的に分析して、真似た商品を素早く市場に出すわけです。先行商品の希少性を薄くすることでシェアの移動を抑えます。

 

次が「周辺需要拡大」です。既存商品の需要を拡大する戦略で、市場全体が拡大すれば、トップシェアであるリーダーの売上も拡大するわけです。業界一の販売ネットワークや豊富な広告資金を使って、パワーでチェレンジャーたちをねじ伏せるのです。

 

チェレンジャーやニッチャーはリーダーの戦略に対抗する必要があります。「同質化」戦略をとるリーダーに対しては、素早い模倣ができないような革新的に差別化した商品を投入する、伝統的な販売ネットワークとは異なるチャネルを開拓する、リーダーに何かの弱みがあって取り組めない商品を市場投入するなどがあります。

 

3つ目のリーダーの弱みは少しわかり難いですが、1985年当時、一眼レフカメラ市場で50%近くのシェアを持っていたキャノンが、シェア5位だったミノルタにたった1年で逆転された事例があります。

1985年2月にミノルタは市場に革新的な商品としてオートフォーカスカメラ(α-7000)を投入します。このとき、キャノンは既にオートフォーカス技術を保有しており、商品開発も終えていたのですが、素早く市場投入することができませんでした。それは、当時のカメラユーザー(その半分がキャノンユーザー)が既に保有し使っていたキャノン製の交換用レンズが、オートフォーカスカメラでは使えなくなるからです。

 

キャノンはミノルタへ対抗するため、1985年4月にオートフォーカスとマニュアルフォーカスの兼用(つまり交換レンズを使うこともできる)カメラ(T-80)を市場に出します。しかし、いかにも不格好でバランスの悪いこのカメラは市場から拒否されました。キャノンが本格的にオートフォーカスカメラを市場投入して、巻き返しに出たのは、ミノルタに2年遅れた1987年3月のこと(EOS650)でした。