角島と特牛。古代の牛牧のつながり

新年の読売新聞に角島大橋と角島の特集記事がありました。角島大橋は山口県でも人気の観光地になっています。

 

角島は島の形が牛の角に似ているから「角島」という説が有力のようです。しかし、角島は飛鳥時代から角島という名前だったようなので、その頃の人が島の形を知っていたのもちょっと不思議です。一方で、角島は延喜式にも記載がある諸国牧の一つで、国(兵部省)が定めた牛の放牧場でした。角島の名前は生き物の牛が由来かも知れません。

 

角島と特牛
角島と特牛

諸国牧というのは、飛鳥時代から国が直轄していた馬牛の放牧場です。延喜式によると18ヵ国に馬牧が24ヵ所、牛牧が12ヵ所、馬牛牧が3ヵ所の計39の牧が設置されていて、成長した馬牛は朝廷や大宰府に送られていました。

 

古代の日本において、馬牛は農耕・運輸・軍事などあらゆる面で重要なものだったのです。厳密に管理されながら飼育され、繁殖に努めていたようです。

 

山口県では、周防の国に、竈合馬牧(上関町)と垣嶋牛牧(光市沖の牛島)。長門の国に、宇養馬牧(下関市豊北町)と角島牛牧が設置されていました。牛島と角島でわかるように、放牧する場所として逃げることも外敵の侵入も心配しなくてよい離島は適していたようです。

 

もう一つ、山口県で有名な難読地名に「特牛」があります。「こっとい」と読みます。「こっとい」あるい「ことい」は文字通り特別に立派な雄牛のことを意味します。

 

特牛は港町ですが、特牛港の両側の半島が牛の角のように見えるから特牛と言うのだという説が有力のようです。しかし、特牛港は角島の対岸にあって、角島大橋が架かるまでは連絡船で行き来していました。角島の牛牧で育った立派な牛が、特牛港を通って朝廷や大宰府に送られていたというほうがしっくりしますね。

 

今では、角島にも特牛港にも立派な牛はおりませんが、山口県は美味しい和牛の産地です。

阿武町で生産される無角和牛は日本で和牛を名乗れる4種のうちの1つです。岩国市の高森牛は、究極の和牛と呼ばれる知る人ぞ知る銘柄牛です。さらに萩市沖の見島の見島牛は、日本で唯一の純血(外国種の牛の影響を全く受けていない)の牛です。天然記念物に指定されていますので、なかなか食べることはできません。

 

ということ、牛肉も美味しい山口県です。おいでませ山口へ