戦中戦後の熱量供給~餓死しちゃいけないけど

終戦の日です。テレビで戦後の食糧難とか闇市の話をしていました。

 

話題になっていたのは、山口良忠判事。食糧難であっても、闇市の闇米を買うのは違法行為だと、食糧管理法に沿った配給食糧のみで生活して、栄養失調が原因となって感染症で亡くなった方です。山口判事が食糧管理法にこだわったのは、自らが裁判官として違反者を禁固刑などに処していたという事情があるのですが、痛ましいことです。

 

日本の熱量供給
日本の熱量供給

戦前の日本人の熱量供給は1人2000㎉を少し超えるくらいでした。右の1つのグラフは示唆に富んでいます。

 

戦前の食料生産は、満州・朝鮮・台湾などの外地が多くを担っていました。終戦により、日本はこれらの領土を失います。

また、内地の農地は戦災に加えて働き手不足で荒れていました。一方で、外地からの引き揚げ者で内地の人口は増えました。

 

この結果、終戦直後の日本の食料事情は悪化して、計算上は1人1050㎉を賄うのがやっとのことでした。

まぁ、実際にはいろいろ裏道もあったようですし、その後はアメリカからの食糧支援(当時のアメリカは穀物生産が盛んで余剰穀物が滞留していたという事情もある)もはじまりますが、それでも栄養失調による死亡は数多くありました。

 

1947年でも熱量供給は1500㎉程度です。その後は、熱量供給は回復していきますが、それでも戦前の水準に戻るのに10年かかっています。直接に餓死する人は少ないとしても、多くの人が栄養不足で亡くなったり、健康を損ねたと思います。

 

一方で、日本は世界一の長寿大国なのですが、今の高齢者は、この戦中戦後の栄養不足の時期に少年から青年だったわけです。

現在の日本人1人の熱量供給は2500㎉と戦前と比較して20~30%増えています。しかし、熱量の構成が全く違うことに驚きます。日本人の健康長寿に適した栄養の取り方なのだろうか?と素朴に考えてしまいます。