アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓をする

政教分離という言葉を間違って使っていませんか?アメリカは政教分離です。

 

統一教会問題ですが、いい加減にしなければ、とんでもないことになりそうな気がします。コロナ真理教が猛威を振るうなかのゴタゴタですから、日本の行く末が心配です。信教の自由と政教分離は正しく理解されて保証されるべきと思います。

 

バイデン大統領の宣誓
バイデン大統領の宣誓

日本国憲法第20条に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」同2項に「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」とあります。

 

信教の自由、すなはち➀信仰の自由、➁宗教的行為の自由、③宗教的結社の自由、の3つはすべての国民に保証されています。これは、大日本帝国憲法でも保証された権利で、かなり普遍性があります。

あなたが、どんなに気に入らなくても、他人の信仰を力で弾圧してはいけません。一方で、あなたも、誰に対してであっても、自らの信仰を強要してはいけません。

 

日本国憲法第20条の3に、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とあります。政教分離を求めた条文です。政治家は国民の代表ですが、通常の場合には国及びその機関ではありません。

国会議員(地方議員も)が国及びその機関となるのは、総理大臣など国務大臣(地方自治体もその機関なので、知事や市長なども)の立場として、権限を行使するときだけです。そうでなければ、僧侶や牧師や神官はもちろん、信仰を持つ人は誰も議員になれません。

 

アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓します。アメリカでキリスト教徒は人口の6割ほどです。キリスト教以外を信仰する人ももちろんいて、イスラム教徒も4000万人くらいいます。聖書に手を置いて宣誓するとなると、今のところ、キリスト教徒以外のアメリカ大統領は考えにくいです。アメリカは政教分離の国であり、信教の自由を国際的に保護しようとしている国です。だから、大統領の信仰も守ります。

 

繰り返しますが、どんなに気にいらなくても、信教の自由は守られるべきです。例えば、アメリカのキリスト教徒が信仰する真理には、自然科学の真理に明確に反しているものもあります。進化論を間違いとして、旧約聖書の創造説を信じて子供に叩き込んでいる人たちが、アメリカにはたくさんいます。気に入らないですし、由々しきこととも思いますが、それでも宗教の真理は尊重されるべきです。

 

統一教会問題は、宗教全体の問題です。このまま放置すると、自分の信仰以外は邪教として糾弾したり、攻撃しても構わないということになりそうです。マスコミも面白がって、煽っていますが、そろそろ納めないといけないです。

 

尚、この立場は経営者でも同じです。従業員の信教の自由は保障しなければいけません。取引先など利害関係者の信教の自由も守ります。実際、経営の根幹に宗教的な考え方を置いている会社は多いです。朝な夕なに礼拝を欠かさない会社もたくさんあります。経営上の意思決定は、ビジネス上の価値から判断しておこなうことだと思います。