日本とロシアが戦ったとき

1904年に満州から朝鮮への侵出をはかるロシアと、それを阻みたい日本との間で戦争となりました。日露戦争です。

 

1904年(明治37年)2月に開戦した日露戦争は、翌1905年1月に日本軍がロシア軍の旅順要塞を占領し、5月に日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破ったことで日本軍が優位になります。1905年1月に第1次ロシア革命が起こっていたことからロシア軍も戦争継続できずアメリカのルーズヴェルト大統領の仲介で、1905年9月にポーツマスで講和しました。

 

日露戦争は直接は日本とロシアの戦いですが、背後関係は複雑です。

 

日本を支援したのは、日英同盟を結んだイギリスです。イギリスは清(中国)に大きな権益を持っていたのでロシアの勢力が強くなることを嫌いました。ロシアの満州進出を快く思っていなかったアメリカは、イギリスとともに主に戦費に面で日本を支援しました。

 

ロシアを支援したのは露仏同盟(軍事同盟)を結ぶフランスです。また、ドイツを中心にイタリアとオーストリア・ハンガリーの三国同盟がロシアを支援しました。三国同盟はロシアが東方に進出することで、欧州でのロシアの脅威が薄まると考えていました。

 

但し、関係が複雑すぎて、どの国も戦闘には参加することはありませんでした。イギリスは表面的には中立を保ち、ロシアと軍事同盟を結ぶフランスも結局はカネは出すがヒトは出さず、戦闘には関わりませんでした。

 

さて、今回のウクライナ紛争です。NATO対WTOという単純な図式ではないようにも思います。NATO諸国もウクライナにカネは出すがヒトは出さないようです。

米国とともに中国の動向が今後の鍵を握りそうです。心配です。