韜光養晦を許してきたことのツケ

韜光養晦(とうこうようかい)とは、鄧小平が唱えた中国の外交への考え方です。

 

鄧小平がどこでいつ発言したのかは定かではありませんが、韜光養晦は1989年の天安門事件と1991年のソ連邦崩壊の後、1990年代半ば(鄧小平の最晩年)以降の中国の外交方針の骨格をなしてきました。

 

鄧小平(1904年8月22日 - 1997年2月19日)
鄧小平(1904年8月22日 - 1997年2月19日)

韜光養晦(とうこうようかい)の意味ですが、「韜光」は才覚を覆い隠すこと、「養晦」は隠居すること。合せると、爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術のことです。

 

鄧小平の韜光養晦は、江沢民から胡錦涛へと引き継がれましたが、習近平時代となり、もはや中国は自らの巨大さを覆い隠すことができなくなりました。

これだけの巨大国家を発展途上国だと言い続けるわけににはいきません。

 

今や、世界GDPの17%(アメリカが25%)、世界人口の18%(1位)、世界軍事費の13%(アメリカが40%)、温室効果ガス排出量の30%(1位)という大きさです。近いうちにGDPも軍事費もアメリカを抜きそうです。

 

習近平は、もはや隠すことができないのですから、積極的に自らの大きさ・強さを誇示することにせざる得ません。鄧小平が待っていた時期が到来してしまったというわけです。

 

アメリカが中国の韜光養晦を「戦略的忍耐」で許し続けていたことは、結果的に失敗だったのだろうと思います。この期に及んで中国に強く当たろうとしても、既に手遅れのようです。

アメリカが期待するオーカス(米・英・豪の安保同盟)もクワッド(米・日・印・豪の経済協力)もなかなか機能し難い印象です。アメリカがオバマからトランプへと少し偏った政権が続き、日本も民主党政権を経ての安倍政権でした。この間に、中国のパワーが強大になり過ぎました。リバランスは容易ではありません。

 

汝、平和を欲さば、戦への備えをせよ (ローマ帝国の軍事学者・レナトゥス)

善の善なる者は、敵の来たらざるを頼むこと無く、我に以て待つあるを頼むなり (孫子)

というのは真理かも知れません。

 

このところ、中国は徐々に孤立を深めているように見えます。もし、高度成長に取り残された国民によって、中国国内での不満が大きくなれば、AI技術くらいでは抑えられなくなるかも知れません。国と国、民族と民族との間で起こる不測の事態は、指導者の意思ではなく、民衆の情念が原因です。

 

本気で心配しています。