ウボポイ~民族共生象徴空間~のCM

オリンピック中継の合間に、ウボポイ~民族共生象徴空間~のCMが流れています。

 

ウポポイは、北海道白老町にある「民族共生象徴空間」の愛称です。国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園などが含まれます。アイヌ文化の復興・創造・発展のための拠点となるナショナルセンターです。尚、「ウポポイ」とはアイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味しています。

 

ウポポイ(民族共生象徴空間ウアイヌコㇿ コタン)園内MAP
ウポポイ(民族共生象徴空間ウアイヌコㇿ コタン)園内MAP

アイヌ民族は東北の北部、北海道、千島、樺太に住んでいた先住民族です。

日本語と系統の異なる言語である「アイヌ語」を使い、自然界すべての物に魂が宿るとされている「宗教観」、祭りや家庭での行事などに踊られる「古式舞踊」、独特の「文様」による刺繍、木彫り等の工芸など、固有の文化を発展させてきたそうです。

素敵なCMでしたから、一度北海道を訪問してウボポイに行ってみたいと思います。但し、いつのことになるやら??です。

 

さて、実は大いに疑問に思っていたことがあります。アイヌ民族は最盛期には数十万人を超えていたそうです。つまり、この規模のコミュニティが存在していたわけです。

それなのに、アイヌ民族はなぜ国や都市のような民族を統治する仕組みをつくらなかったのだろうか?

アイヌ民族と他の民族との最初の争いは13~14世紀の元(蒙古)との間で起きています。フビライの時代に、樺太での毛皮交易に関しての争いです。この争いはアイヌ側と元が和解して終わり、元が衰え明に代わった後も交易が続きました。

和人との対立は15世紀に入って、東北の大名が北海道に進出してきたことがきっかけのようです。江戸時代に入ると「シャクシャインの戦い」がありました。(Wikipediaをリンク)

 

アイヌ民族では、地域ごとに小さな集団があり、首長がいたようです。また、複数の首長がまとまって惣大将と呼ばれる有力首長も現れてもいたようです。それでも、アイヌ民族が一つのまとまりとなったわけではないようです。この理由が、どこにあるのでしょうか?

 

沖縄で琉球民族が国としてまとまったこととの対比が不思議です。北海道の広さということなんでしょうか?いずれにしても、一度行ってみたいですね。