稲荷町は日本有数の遊郭だった

昨日の続き?ですが、山口県である意味最も有名な稲荷神社が下関の末広稲荷神社です。

 

下関市の名所、唐戸市場の山側にある小さな神社です。創建は西暦804年とされていますので、下関でも最も古い神社です。このあたりは、今は赤間町となっていますが、昭和30年代までは稲荷町と呼ばれていました。この地には、江戸時代には日本有数の遊郭がありました。

 

下関市 末広稲荷神社
下関市 末広稲荷神社

稲荷町の遊郭が有名なのは、壇之浦の合戦で逃げ遅れた平家の女官が、「おかくれ遊ばされた先帝様へ、お手向けのお線香代、お花代をいただかせて給われ」と、優雅な物腰で、客をひいたことが評判を呼んだと言われています。(もちろん、後世のウソです。)

 

実際は、江戸時代に、本州を海岸線に沿って往来していた北前船などの廻船が日本海の荒波を乗り切って、下関に到着します。ここからは瀬戸内の穏やかな海に入るわけです。

船頭たちは稲荷町での遊興を目指して、命がけの航海をしてきたのです。

 

そして、北前船を迎える荷主のほうも下関にやってきます。大問屋は、この荷主との商談を成功させようと、稲荷町での接待を持ちかけるわけです。

 

こうして、江戸時代の稲荷町は日本でも5本の指に入る有名な遊郭となりました。玉代も指折りに高かったと言われています。

 

幕末には高杉晋作や伊藤博文などが出入りをしていました。坂本龍馬が中岡慎太郎を滞在させたとか、井上薫がアーネスト・サトウを接待したとかの史料が残っています。

晋作の愛妾おうの、博文の後妻梅子はいずれも稲荷町の芸妓でした。稲荷町がたしかに時代をつくったのです。

 

まぁ、なんやかんやありますが、いろいろ面白いです。

是非、おいでませ山口へ!下関へ!