串にささった”だんご"は3個・4個・5個

とても有名な「だんご三兄弟」のうた。♬ 串にささってだんごだんご 3つならんでだんごだんご ♪ 串だんごは3個のものだと思っていました。

 

 

どうも、関東では串だんごは4個が主流で、関西では5個の場合が多いのだそうです。ちょっと、ネット検索してみると串だんごの個数については、たくさんの記事がヒットします。諸説が乱立していて、何が正しいのかはわからないのですが、一番面白そうな説を載せてみます。このブログなのでお許しください。

 

串だんご
串だんご(10種)

だんごは、既に縄文時代につくられていました。当時は、木の実を粉砕して、水でアクを抜いて丸めたものを食べていたようです。

もちろん、だんごは一つ一つバラバラになっていました。

 

だんごを串に刺して食べるようになったのは、鎌倉時代に京都・下賀茂神社を後醍醐天皇が参拝したのがきっかけです。後醍醐天皇が境内にある御手洗池で手を清めていると、池の中から5つの泡がポコッと現れました。吉兆を表す泡が、一つならず5つも同時に現れたというので、皆は驚き、喜んだそうです。

 

そこで、下賀茂神社の御祭神に、だんご5個を串に刺して奉納するようになったのです。その際に、正式には、5個のだんごをくっつけて串に刺すのではなく、1個と4個に少し離して刺します。これは、後醍醐天皇がご覧になった泡の配置を表すそうです。

関西の串だんごは、1本に5個が多いわけです。

 

次に登場するが豊臣秀吉です。秀吉は慶長年間に京都・醍醐寺で諸大名とその妻女など1300人を集めた一世一代の盛大な花見を催します。その際に、茶菓子として供されたのが串だんごです。このとき、秀吉は1本の串に、赤・白・緑の3個のだんごを指しました。

赤(実際はピンク色です)が春、白が冬、緑が夏を表します。秋を表すだんごがないのは、秀吉が秋ない=「飽きない」と洒落たのだそうです。

だんご三兄弟の誕生です。

 

その後、串だんごは江戸時代になって関東に進出してきます。当初は、関西と同じく1本に5個でした。これを5文(今の感覚では、1文=30円くらいなので150円)で売っていました。ここで登場するのが寛永通宝という穴開きの四文銭です。江戸時代の貨幣制度は4進法(1両が4分、1分が4朱・・)ですから、四文銭は便利です。

串だんご屋さんは、ワンコイン(1串4文)で売るようになり、コスト削減でだんごの数を4個に減らしたのです。

関東の串だんごが、1本に4個の理由です。

 

だんごは、和菓子のなかでも季節を問わず一年中楽しめるものの代表格です。冬の寒い日に、あったかい日本茶と、串だんごでくつろいでみるのは楽しみですね。