人はバーチャルな世界だけで生きられるのか?

新型コロナ感染症の脅威そのものが、バーチャル(実体を伴わない)とは思いますが・・。

 

「百聞は一見に如かず」と言いますが、現代においては現物があるところに行かなくても”見る”ことができます。それでも「百見は一体験に如かず」で、現地での体験の有用性は信じられていました。ところが、「バーチャルリアリティ」技術によって、本来は現地に行かなければ体験できないものでも、この場所で体験できるようになりました。

 

バーチャルリアリティ
バーチャルリアリティ

初期の頃は、バーチャルリアリティと言っても、眼で見えるというだけでした。

そこで、年配者の多くは、やはり現地に行って、耳で聴き、手で触り、臭いを嗅ぎ、空気を感じなければ本当の経験にはならないと、偉そうに批判していました。

 

ところが、現代のバーチャルリアリティ技術はその全てを完全に満たしてくれそうです。

現場で耳にするあらゆる音も聞こえ、そこを吹く風を感じ、クルマが走る揺れもわかり、手でも肌でも感触があり、微かな香りも嗅ぐこともできます。

もう、文句のつけるとことがありません。

 

更には、現実には体験できない体験を体験する?という訳の分からないこともできます。太平洋の深海を泳ぐことも、8千メートルの山を歩くこともできますし、月面を飛び跳ねることも可能です。時代を超えることだって簡単です。原爆投下直後の広島の街を彷徨うことだって、大仏開眼の行事に最前列で参加することだっって、体験できます。

 

博物館や美術館で、触ってはいけないとガラスケースに入っている芸術品やら骨とう品やら異物やらも、どれでも手に取ることができます。ときには、実際に使ってみたり、叩いてみたり、壊したりみたり、何でもできます。

 

但し、どれも「本物」ではないのです。時を経て、変わっていく物語がないのです。でも、だからどうだということも言えません。

 

おじさんにとっては、バーチャルリアリティ技術と、これからの人がどう向き合っていくのが正しいのか、ちょっとわかりません。楽しみと同時に不安もあります。

まぁ、日本は今頃になって、デジタル庁創設なんて言っているので、もう少しは大丈夫ですかね?(私は「デジタル」という言葉は、もうずいぶん前に死語になっているかと思っていました。)