どうして銅鏡を割って埋葬したのか

福岡県糸島市にある平原遺跡から発見された銅鏡40面分は、国宝に指定されています。

 

銅鏡40面分という言い方は、発見された銅鏡はいずれも完全なかたちではなく、割れていたからです。それをつなぎ合わせて復元してみると、40面になったというわけです。平原遺跡は、魏志倭人伝にある伊都国に当たる地域にあります。伊都国の王墓と考えるわけですが、一説には、邪馬台国もこの地にあって、平原一号古墳が卑弥呼の墓だという人もいます。

 

平原遺跡から発掘された銅鏡は、いずれも割れています。これも2説あるのですが、人為的に割ったものだという説と、割れたのだという説です。

 

現代では、個人が使っていたお茶碗を割るということがよくおこなわれます。この連想から、人為的に割ったというのは、埋葬した人物が再び現世に彷徨い出ないようにという意味とも思えます。しかし、古代の人がどう考えたかは不明ですし、確証はありません。

 

一方で、人為的に割ったのではなく割れたのだという説もちょっと不思議です。この説には、また2種類あって、埋葬した時点で割れていたというのと、埋葬された時点では割れていなかったという説です。

 

埋葬された時点で既に割れていたというのは、何かの原因で割れてしまった銅鏡を集めて、これを一緒に埋葬したという説です。割れた銅鏡は再び溶解して再利用していたので、埋葬されているのはリサイクルの責任者といった説もあります。この説も、確証はないですし、ちょっと考えすぎな感じもします。

 

最後に、完全な形で埋葬したが、その後に割れたという説です。実際は、これが一番ありそうな感じがします。

銅鏡は、青銅でできています。銅といえば、十円玉なんかを思い出して、そう簡単には割れないような気がしますが、銅鏡は意外に簡単に割れるようです。

 

青銅は、銅と錫(他に鉛なども含む)の合金です。銅像(ブロンズ像)になる青銅は、錫が10%くらい含まれます。この青銅は強くて、そう簡単には割れません。錫10%の青銅は、金色をしています。

しかし、銅鏡に使われる青銅は、錫が20%くらい含まれます。錫20%の青銅は、銀色になって、鏡として使うことができます。但し、この青銅は強度が弱くて、簡単に割れます。

また、当時の技術では、大きな銅鏡をつくる際に均質な青銅を鋳込むことができず、銅鏡のなかで錫濃度にムラがあったことも、強度を落とすことになったかも知れません。