森喜朗元総理、辞めてからのほうが国民に貢献

自民党総裁選挙についての報道が、賑やかです。岸田さん・石破さんが、ワイドショーなど軽めのメディアで、意外な一面を見せて、話題を提供しています。

 

今回の自民党総裁選では、選挙のやり方が大きな話題になりました。党員党友による投票をするべきか、そんな余裕はないのか。党員投票があれば、石破さんに有利であるとか、そうでもないとか。そんなワイドショーで、しばしば話題になるのが、森喜朗さんが自民党総裁に就任した時の経緯です。

 

森喜朗元首相と蔡英文総統(李登輝氏を弔問)
森喜朗元首相と蔡英文総統(李登輝氏を弔問)

2000年4月2日未明に、小渕恵三総理総裁が脳梗塞で突然倒れました。

その日のうちに、当時の青木官房長官と、自民党の森喜朗幹事長、野中広務幹事長代理、亀井静香政調会長、村上正邦参議院議員会長のいわゆる5人組が、ホテルの一室に集まり事後の対応について相談します。(自民党三役のうち、池田行彦総務会長は体調不良を理由に参加していない。)

 

5人組会談の後に、小渕総理の病室に、青木官房長官一人が入ります。その時点で、小渕氏が意思表示できる状態ではなかったという説もありますし、そもそも病室に入っていないという説もあります。

この当時は、首相に事故があったときの臨時代理を誰にするかという事前の取り決めがありませんでした。青木官房長官は、自身が小渕首相から首相臨時代理に指名されたとして、その日から首相職を代行しました。

 

翌4月3日に、5人組は再びホテルの密室で相談をします。このとき、次の総理総裁は森喜朗さんと決まったと言われています。その翌日4月4日に内閣総辞職、5日午前に自民党両院議員総会で森総裁を選出し、5日午後に衆議院総会を開いて森総理が選出されました。森総理は、内閣改造をおこなわず、小渕内閣の全閣僚が留任したかたちで発足します。

 

 

森総理の評判は、就任直後からかなり低くなりました。密室で決まった後継者であり、平成おじさんで人気のあった小渕さんが、本当に森さんを後継としたかったのか?という疑問が残りました。

さらに、「ウソでもいい」発言、「カミの国」発言など、森総理の大きな体に似合わない、軽い失言が評価を落とします。小渕氏が5月に亡くなり、6月の総選挙で自民党は議席を減らします。その後も、自公保の三党連立政権でなんとか安定を保っていたのですが、翌年1月に「えひめ丸事件」が起こります。ずっと低空飛行を続けていた森内閣の支持率は、ついに1桁に下がり、森総理は就任わずか1年で辞任することとなります。

 

国民から人気がなくて、悪いイメージが強い森元総理ですが、辞めてからの活躍ぶりは目を見張ります。

先月、李登輝氏の弔問に台湾を訪問し、蔡英文総統と面会しました。コロナ騒動のなかでの弔問外交と言えば語弊もありますが、日本と台湾の関係を深めることになったのは記憶に新しいところです。

コロナ騒動で開催も危ぶまれてはいますが、東京へのオリンピック・パラリンピック招致には森元総理の国際的な人脈が活きています。現時点でも来年の東京オリパラに開催の可能性が残っているのは、組織員会の会長に森元総理が座っていることも大きな要因でしょう。

日本とロシア、日本と韓国との関係でも、森元総理の存在感は健在です。

 

森総理総裁の後継は、小泉純一郎さんです。小泉首相は「自民党をぶっ壊す」のイメージが強いですが、当時は森派の№2(森さんの総理就任時は森派の代表)でした。

森派はその後、町村派、細田派と名前を変えていますが、現在も自民党の最大派閥であり、安倍晋三首相の出身派閥です。