早熟の天才が名人になる。圓朝の噺

将棋界は、最年少でタイトルを奪取した、17歳の藤井聡太棋聖の話題で持ちきりです。

 

藤井聡太くんに棋聖のタイトルを奪われたのが、やはり早熟の天才、渡辺明さんでした。藤井聡太くんまで含めて、たった5人しかいない中学生でプロ棋士となった逸材です。20歳で竜王のタイトルを獲得して以来、16年間一度も無冠となったことはありません。その渡辺明さんが、豊島名人を破って、初めての名人位を獲得しました。

 

三遊亭圓朝
三遊亭圓朝

将棋界では、神武以来の天才と言われた加藤一二三さん、21歳の最年少で名人となった谷川浩司さん、永世七冠の羽生善治さん、など早熟の天才がときどき現れます。

渡辺明さんが、名人位を獲得したことで、藤井聡太さん以前の中学生棋士は全員が名人となりました。

 

ちょっと(大きくかな?)話が変わって、落語界に三遊亭圓朝という、飛び抜けた早熟の天才がいます。

圓朝は幕末の天保10年(1839年)の生まれです。お父さんは、三味線を弾く音曲師でした。圓朝はわずか満6歳で噺家となります。

 

10歳で二つ目に昇進した圓朝は、安政2年に満15歳で早くも真打となります。ただ、この頃は、真打とは言っても場末の寄席を回っていたようです。

 

圓朝21歳のときに、大きなチャンスがやってきます。数寄屋町の寄席「吹ぬき」が、圓朝に真打(大トリ)を頼んできたのです。そこで、圓朝は師匠である、二代目三遊亭円生に中入り前のトリを依頼しました。

ところが、師匠の円生は、弟子の圓朝が若くして人気が出たことに嫉妬していたようです。意地悪をして、圓朝がトリで演じるはずの演目を、中入り前に掛けてしまいます。最初は、別の噺に代えて乗り切っていたのですが、毎夜続けられると困ってしまいました。

 

そこで、圓朝が師匠に邪魔をされないようにと、とっさに創作して演じたのが、名作「真景累ケ淵」です。ここに、はからずも、近代落語が創始されました。

圓朝が残した噺は、怪談噺、人情噺、海外文学作品の翻案など、多種多彩です。怪談牡丹灯籠、怪談乳房榎、死神、芝浜、鰍沢、文七元結・・など、今の落語の隆盛を築きました。

 

圓朝は1900年(明治33年)に61歳で亡くなっていますが、最後の高座の演目は「怪談牡丹灯籠」でした。