訪問した先の近所に大きな神社があったのでお参りしましたら、茅の輪が特設されています。
茅の輪を作法に従ってくぐると、疫病から逃れて、無病息災になるという行事です。6月の大祓(夏越の祓)に、一部の神社でおこなわれます。ネット検索すると、スサノオノミコトに由来するとありましたが、実に不思議な行事です。
元々は、小さな茅の輪を腰にぶら下げていると疫病にかからない言い伝えだったようです。茅(かや)は、イネ科の多年草の総称で、かやぶき屋根を葺くのに使います。
茅の輪のことは、和歌などでは菅抜(すがぬき)と書かれることが多いようです。
小さな茅の輪をぶら下げるという風習は、平安時代の終わりころから貴族の間で広まったようです。ちょっとした夏のアクセサリーといったものだったのでしょう。
茅の輪を飾ることが行事として文献に出てくるのは、12世紀の藤原家の六月祓の場面が最初です。
掌に乗るくらいだった小さな茅の輪は、その後だんだん大きくなります。
経緯はよくわからないのですが、公家の家内行事であったものが、神社がとりおこなう神事に取り入れられたことが要因の一つのようです。神社としては、大祓に人を集めたので大掛かりなもの考えだしたのです。
各地の出雲神社では、神官が2mほどの茅の縄を両手で持って回し、信者はそれを三度飛び越えると無病息災になるというような行事があったそうです。信者だけが飛び越える二人縄跳びのようなものです。
その後、茅の輪そのものを大きくして、人が潜り抜けるようになりました。これも最初は、頭を下げてくぐるように小さな輪だったのですが、江戸時代には各神社が大きさを競うようになったそうです。
茅の輪くぐりは、八の字に三度くぐり抜けるのが作法です。この三度というのがポイントです。最初に書いたように、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトに由来(日本書紀にあるのは、茅の輪の効用をスサノオが伝えたという記載)する行事です。
実は、茅の輪はオロチ(蛇)を表しているという説があります。オロチは疫病のことで、輪にしておけば罹らないということだったのが、三度くぐることで、蛇を三分割して退治するというようになったとのことです。
また、夏越(なごし)の祓はつまり、縄越の祓だから、茅縄くぐりから茅の輪くぐりと洒落たのだという説もあるようです。
せっかくの茅の輪ですが、何しろお参りに来ている人が全くいなくて、巫女さんたちが手持無沙汰にしています。まぁ、自前で構わないので、そろそろ「Go Toキャンペーン」をはじめないといけませんね。
※ 茅の輪には諸説あります。