新型コロナ禍。リスク・トレード・オフという考え方

リスク・トレード・オフとは、特定のリスクを減らそうとすると、逆に他のリスクを増やしてしまうことを言います。私の専門の環境関係ではよくでてきます。

 

例えば、自動車からの排出ガスを低減させるため車両の軽量化を進めると、衝突安全性が低下する。再生可能エネルギーである風力発電を導入すると、大型鳥類の生育環境を狭める。バイオマスエネルギーの導入は、途上国の食糧問題を引き起こす。オゾン層を破壊しない代替フロンは地球温暖化を促進する。などなど。

 

トレードオフ
トレードオフ

新型コロナ騒動ですが、感染症にリスクがあることは否定できませんが、そのリスクを減らすために増やした他のリスクのほうが大きいように思われます。

結局のところ、このトレード・オフの比較は時代が評価することになるわけですが、ちょっと困りました。

 

一般に感染症のような自然科学的なリスクは評価しやすいものです。例えば、何人当り何人が亡くなるといったエンドポイントがはっきりしているからです。これに対して、社会科学的なリスクは曖昧で評価が難しくなります。

新型コロナウイルス感染症は、とても感染力が緩やかなことが要因となって、自然科学の範疇から社会科学的なリスクの領域に入ってきています。

 

昨日のブログで触れたように、喫煙にははっきりしたリスクがあります。日本で亡くなる人の10人に1人が喫煙が原因です。計算上ですが、たばこを毎日20本×40年間吸った人は、自らの寿命を14.6年縮めており、同居者の呼吸器疾患のリスクを1.3倍高めています。それでもタバコは止められないのには、タバコを吸うこと(売ること)にそれを超えるだけの便益があるということなんでしょうか?。

 

自動車を運転することにも、明確なリスクがあります。事故によって生命を奪われるという目の前のリスクもあります(2019年:死者3215人)。燃料消費による地球温暖化をもたらすとか、材料の使用による資源の枯渇につながるといった少し見えにくいリスクもあります。

 

スポーツをすることにも、明確なリスクがあります。水難事故で亡くなる人が年間650人くらい、登山で亡くなる人も350人くらいいます。行方不明者を含めます。ラグビーや柔道などでも亡くなる人はいます、死には至らないまでも身体に重大な障害が残るケースが多々あります。それ以外の競技でも大なり小なりリスクがあります。オリンピックでもマラソン選手が亡くなった事例がありますし、練習中にスキーやそり競技の選手の死亡事故が起きています。

 

もし、感染症学者が新型コロナのリスクを言うように、人々が自動車運転は事故のリスクがある。スポーツは危険だから止めようと言うとしたらどうでしょうか? 自動車運転やスポーツのリスクを否定できる人はいないわけですから、その通りとなりますか。そこにはトレード・オフの考え方がでてきます。

 

いずれにしても、リスクを評価することが大事です。存在しているリスクを無視することはあってはなりませんが、誇張することも同じようにあってはいけません。

新型コロナウイルス感染症に関しての現状は、マスコミも感染症学者(本物か偽物か混在していますが・・)も政治家もいろいろな理由でリスクを誇張しています。もう、引っ込みがつきませんから、少々頓珍漢なことでも発表して恐怖を煽ることに一生懸命です。

 

そして、さらに危険だと感じるのは、新型コロナウイルス感染症に関する治療薬やワクチンの効果を誇張していることです。逆に言えば、治療薬やワクチンのリスクを意図的に無視あるいは軽視していることです。これを許しては絶対にいけないです。