山口市秋穂はエビ養殖発祥の地~藤永元作博士

コロナを発端にして石油戦争が勃発したので、世界恐慌到来は必至(必死)の情勢です。気分を変えてエビのお話です。

 

宇部市のお隣の秋穂(あいお)はエビ養殖発祥の地です。秋穂は広域合併で今は山口市に編入されていますが、瀬戸内海に面して穏やかな湾が拡がります。山も近くて海岸線に沿って真水が湧くところが多くて、海老の生育に適した環境にあるそうです。ちなみに、「秋穂」(秋に稲穂が満る郷:あきほ)という地名は各地にありますが、山口だけが(あいお)と読みます。

 

エビとカキの養殖生産量推移
エビとカキの養殖生産量推移

エビ類の養殖生産量は世界で年間550万トンにもなり、カキ類の養殖生産量を抜きそうなところまで増えてきました。

エビ養殖を最初におこなったのが、山口県萩市出身の藤永元作博士です。

 

藤永元作は1993年(昭和8年)に東京帝国大学農学部水産学科を30歳で卒業して、現在のニッスイの前身である共同漁業に入社します。ここで、世界で初めて、クルマエビの人工産卵と幼生の飼育に成功しました。

戦後、水産庁に招聘されて日ソの漁礁交渉を担当する傍ら自費でクルマエビ養殖の研究を続けます。

この藤永博士の成功をもとにして、アメリカでクルマエビの大量飼育技術が完成します。この経緯から、藤永元作は「エビ養殖の父」として、世界で知られています。

 

1959年(昭和34年)に水産庁を定年退職した藤永博士は、養殖会社を設立して稚エビの生産を開始します。1963年(昭和38年)にはクルマエビの商業養殖をおこなう瀬戸内海水産開発を設立して初代社長に就任します。このとき、当時の山口県吉敷郡秋穂町に最初の養殖場を開設しました。これが、世界のクルマエビ養殖の最初です。

 

 

エビ類は世界で高級食材として利用されています。現在では、東南アジアと南米を中心に養殖生産量が大きく増加しています。これだけ、短期間に養殖技術が進歩して、拡大した農水産物はありません。養殖期間が短く、商品価値が高いことから、発展途上国の貴重な輸出産業となり人々の暮らしを豊かにして、世界経済の発展に大きな貢献をしています。

 

藤永元作博士は、秋穂でのエビ養殖が始まった10年後の1973年(昭和48年)に70歳で亡くなりました。藤永博士がはじめたエビ養殖は世界で3兆円のビジネスとなり、数百万人の生活を支えています。結構、面白い人生を送られたのではないかと思います。