ヨーロッパで製紙は日本より500年も後

また紙のお話です。紙が発明されたのは2100年ほど前(紀元前100年頃)の中国です。

 

論語や老子は、紙が発明される前なので主に竹簡に書かれていました。他には木簡、絹布などが筆記媒体の主体です。現在に至るような紙が発明されたと判る最古の記録は、蔡倫という宦官が後漢の和帝に紙を献上したという後漢書(432年に書かれた)の記述です。

 

蔡倫
蔡倫

実際は蔡倫以前から紙のようなものは中国ではつくられて使われていたようです。蔡倫がそれらの製法を製紙法として確立させたというわけです。

不思議なのは、この製紙法はなかなか西方には伝わらなかったのです。当時の中国が国家機密として厳重に管理をしていたと言われていますが、そんなことができたのでしょうか?

 

世界史の教科書によると、中央アジアに製紙法が伝えられたのは、751年のタラス河の戦いで当時の中国(唐)がイスラム軍に敗れて紙漉き職人が捕虜となったのがきっかけだそうです。850年も経っています。

しかし、その後も製紙法はなかなか西方には伝播しないで、9世紀にシリアに、10世紀にエジプトに、11世紀にモロッコに伝わり、12世紀なってようやくジブラルタル海峡を渡ってスペインに伝わります。なんと悠長なことでしょう。蔡倫から1250年も経っています。

 

この間の製紙法では基本的に原料が麻類(大麻や亜麻)でした。ヨーロッパに伝わった後、長い年月をかけて現在と同様に木材パルプを原料にするようになったようです。西洋紙ですね。

つまり、13世紀以前のヨーロッパでは羊皮紙のような獣の皮か、パピルスのような植物の髄を使った筆記媒体をまだ使っていたわけです。

 

日本には朝鮮半島を経由して製紙法が伝わりました。日本でいつから製紙がおこなわれていたかは不明ですが、大宝律令(701年)に図書寮という紙を製作する組織が定められています。その後、710年には図書寮造紙所(紙屋院)が置かれ製紙技術の開発や研修をおこなっています。ここに地方から研修生を集めて技術を教えたので、日本国内では製紙業が広くおこなわれるようになりました。

 

この際の技術革新で、紙の原料を大陸の麻類から楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮など日本で広く調達できるものに変えたことです。結果として麻類より短繊維の楮でつくる和紙のほうが、製紙も簡単で丈夫で白い紙を大量につくることができました。

この恩恵は計り知れないのですが、例えば、日本の中世に女性の文学者が輩出したのも和紙の発明のお陰でもあります。