(続き)憲法改正できないのは自分で作ったものじゃないから

日本では憲法改正の論議を大日本帝国憲法制定以来130年間ずっとしています。

 

昨日の続きです。~ 昭和22年(1947年)に制定された日本国憲法は、何故に73年に渡り1度の改正もされていないのでしょうか。しかも、改正の議論すらしてはならないかの風潮は、果たして立憲主義として正しいのでしょうか?

 

法治国家
法治国家

日本国憲法は、昭和22年に明治憲法を改正したかたちで制定されました。憲法は73年間、一字も改正されることがありません。

 

憲法を改正できないのは、結局のところ自分で作ったものではないからだと思います。

先日亡くなった中曽根康弘元首相が、憲法をマッカーサーがつくった「マック憲法」と呼んで、憲法改正を悲願としていたのが象徴的です。

101歳で亡くなった中曽根元首相でも、憲法制定時に28歳です。憲法制定時にリアルな経験をした政治家で存命なのは村山富市元首相(95歳/当時22歳)くらいで、他はみんな亡くなっているでしょう。

 

それにしても、本来の政党の主義主張から考えれば憲法改正の先鋒であるべき、共産党や社会党が護憲と叫ぶのは落ち着きが悪いです。さらに立憲民主党と立憲を掲げる政党が憲法改正の議論さえ拒否しては自己矛盾の感じがします。

 

日本国憲法の原理は「国民主権」「基本的人権の尊重」「恒久平和主義」の三つです。

当時の日本は、占領下で国家主権を持っていなかったのですから、必然的に国民主権ということになります。日本国憲法は、日本に国家主権が無くて、領土も領海もなく、ただ国民だけがある状況の憲法です。少し前の安保法制議論でも、国民の生命や財産を著しく損なうときは集団的自衛権を発動できるという曖昧なことになって、国土を超えてミサイルを飛ばして威嚇されても憲法上は何もできないという状況です。

 

基本的人権が尊重されるのは結構ですが、戦後の焼け野原で独立国でもなかった昭和23年と現在の日本ではその定義がかなり異なります。また、基本的人権には公共の福祉の範囲内という制限がありますが、公共の福祉の定義も全く変わってきました。

 

恒久平和主義も言葉の綾のようなもので、占領下にあった日本は戦勝国(連合国)の庇護の下にあるので何もできない(何もするな)と書いてあるわけです。既に、状況は全く違いますから、文言だけ見れば違憲状態が続いているわけです。

 

まぁ、何にせよですが、他人から与えられたものというのは変え難いということです。

経営においても、ルールは守るものではなく、つくるものなんだろうと思います。