世の中の論文や報告書は99%が捏造です

捏造は辞書で「実際になかったことを故意に事実のように仕立て上げること」とあります。

 

本質的な部分で実際になかったことを、あったように書くのは難しいです。しかし、事実を飾り立てたり、追加したり削ったり、魅力的なお化粧をして論文や報告書を仕上げるということは大なり小なり誰でもします。これも、広義に言えば捏造と言ってもいいかも知れません。

 

フラスコ(赤)
フラスコ(赤)

自然科学の論文では、グラフや図表で”わかりやすく”説明をします。もちろん、グラフや図表が全く無ければ、読者に理解してもらうことはできません。

しかし、グラフや図表は書き手の意思が入りやすいものです。どの位置に、どのグラフ(図表)を、どんな縮尺で入れるかだけで、読み手の印象を操作することができます。

 

さらに、根本的なのは論文にどのグラフや図表を載せて、どれを”載せないか”を書き手は選ぶことができます。

論文を評価する査読者は、載っているデータの正しさについて検証することは可能でも、書き手が載せなかったデータが何であるかを知ることはありません。

自然科学の論文でも98%くらいが捏造と思います。

 

これが、人文科学の分野では間違いなく100%になります。たまたま、雑誌に掲載されていた短い論文を読んだのですが、どうも納得がいきません。

実は、書かれている文言や使用されているグラフや図表には一点の誤りもありませんが、主張されることが理解できないのです。つまり、書き手としては自分の説に有利な”事実”をつなぎ合わせ、その範囲で正しいデータを利用しています。

 

自然科学の分野では生データは書き手が所有しています。そのデータのどこをどのように加工して論文にするかは書き手の考え方に拠ります。

人文科学の分野では書き手が所有する生データそのものが少なくなります。国や公設機関から提供されるデータや民間の調査機関が保有するデータを利用して、自分の説を補強して説明するわけです。当然、使用するデータそのものの正確性や、かかっているバイアスを考慮しなければなりません。

 

Web上にあるような見解や説明は(このブログも含めて)正確性が乏しいことは誰でも知っています。しかし、高級な学術誌に掲載される論文でも、完全に正確なものは無いと考えるべきなんでしょう。むしろ、Web上であれば気軽に反論コメントなどが出てくるので、もしかすると信頼性が高い?なんてこともあるかも知れません。