人はどうしても危険なことが好き

昨日の続き。なぜ、人は牡蠣を食べるのか? 河豚も食べるのか?

 

なぜ、人は海のそばに住むのか? 川のほとりに家を建てるのか? 高層マンションの上階に住むのか? なぜ、人はタバコを吸うのか? 酒を飲むのか? 唐辛子を掛けるのか? なぜ、人はクルマを運転するのか? 道路を歩くのか? 電車に乗るのか? ・・・

 

与えられるリスクの大きさに見合うだけの利益があるということなんですよね?

 

牡蠣はたまには当たるかも知れないけれど、美味しいから食べる。

海や川のそばは、津波や風水害で危険だけど生活しやすいので家を建てる。

タバコやアルコールが身体に悪いことは知ってはいるけど止められない。

クルマは走る凶器だと知っているけど、便利さには代えられない。

 

人はどうしても危険なことをします。もう少し言えば、人は自発的な行動をとるときには、不思議なほど危険を恐れず、リスクを容認します。

一方で、自発的でなければどんなリスクも拒絶しようとします。その拒絶の仕方は、ときに常軌を逸していると思えることもあります。

 

環境関係では、大気汚染、水質汚濁、揮発性有機化合物をはじめとする化学物質、騒音さいきんでは特に高周波騒音、放射線、などなどの自発的ではないリスクには敏感です。

 

揮発性有機化合物の汚染を声高に訴える人が、愛車に給油するためにセルフ式のガソリンスタンドに行きます。高周波騒音の被害を恐れる人が、歯科医だったり都会の駅前でバスを待っていたりします。放射線による癌におびえる人が、レントゲン健診を受けたりコンピュータやテレビのディスプレイを見つめます。

 

現代人の「2人に1人が癌で死ぬ」と、微量の化学物質や放射線の恐怖におびえます。自然界に普通に存在する量より少なくてもです。しかし古今東西、人間の致死率は常に100%です。

やはり、何ごともバランスなのだろうと思っています。