不謹慎ですが・・復興のまちづくり

最初にお詫びですがこれはちょっと暴論です。

 

山口県では歴史に残っている限りで、地震での死者は1707年の地震による3人だけです。家屋倒壊するような地震もほとんどおこっていません。地震や火山噴火などの被害の可能性が日本で最も低い県です。このことは、山口県に住む、山口県で仕事をする、大きな動機づけになっています。

 

廃墟商店街
廃墟商店街(本文とは関係ありません)

山口県でも水災の危険性は高まっています。台風が通過する数は多く、雨・風・高潮で大きな被害が発生することがあります。また、地球温暖化の影響で異常な大雨が降り、河川が氾濫する危険性は年々高くなっています。

 

しかし、山口県が自然災害の危険性が少ないところであることは間違いがありません。ところが、山口県では廃墟化した市街地や大型施設、空き家のままで朽ち果てている建物が、他県と比べて目につくのです。

 

自然災害やその他の災害(火災や古くは戦災・空襲など)に遭うことは不幸なことです。災害に遭わないことは確かに幸せです。災害に備えて、防災に努め、高台に堅牢なまちをつくることも重要です。

 

しかし、災害や破壊がおこらないと復興や再生がありません。堅牢な構造物でつくられたまちは、いつまでも同じかたちで残ります。そこに暮らす人々のかたち、数や年齢、仕事や暮らし向きがどんなに変わってもです。

 

不謹慎極まりないのですが、災害に遭ったまちが復興した姿は美しいです。日本の多くの都市が戦災で焼け野原になったことは不幸で、多くの尊い人命が奪われたことに声もありません。しかし、都市は戦災復興によって機能的で美しくつくりなおされました。

近年、度重なっている震災の復興でも、新たなまちづくりがおこなわれています。

 

創造的破壊という経済用語がありますが、平穏なところに過度に堅牢なまちをつくることは破壊がおきません。現代の日本は個人の権利が完全に保証されている国です。再開発という名の破壊もおきません。思い切った手立てをしないと、平穏な廃墟が拡がっていきます。

 

決して自然災害を望んでいるわけではありません。政策的な創造的破壊の可能性を模索することが必要だと思います。