ノーコメントという戦術の功罪

一般には「ノーコメント」というのは拙い戦術だという印象があります。

 

しかし、間違ったことを言う危険がなく、本質と関連がない情報を流出させることもないので、存外よい戦術なのかと思います。選挙期間中ということで、各政党の幹部へ記者さんが質問している場面がテレビで流れます。幹部さんは選挙公報に書いてあることは威勢よく語るのですが、それ以外の質問には事実上の「ノーコメント」に近い回答が実に多いです。

 

参議院議員選挙2019
参議院議員選挙2019

選挙期間では失言や辻褄の合わない意見の表明をした場合のマイナスのほうが大きいのです。確信が持てないことには事実上の「ノーコメント」を貫くのが賢い戦略なんです。

特に、現在進行形の事案についてのコメントには慎重にならざる得ません。質問に対して答えたように進まなかった場合には見識を問われますし、答えたように進んだ場合にも責任を追及されるかも知れません。

 

もちろん「ノーコメント」というと表現が強すぎるので、「責任者ではないので、コメントを遠慮します」「・・という段階なので、コメントを差し控えます」「一つ一つの事案にコメントするのは適当でなはい・・・」といった言い方で逃げます。

 

「ノーコメント」戦術をとると、記者さんに痛くもない腹を探られる心配があります。何か隠しているのだろうと疑われます。直接話さないなら、周りの人に聞いて回るとかされると迷惑です。ときには「ノーコメント」そのものを、うまくつないで記事にされてしまいます。

「○○氏、・・・についてノーコメントとしか言えず」「○○氏、・・に見解を示せず」といった見出しは結構辛いかも知れません。

 

しかし、「ノーコメント」戦術はときに有効です。

優秀な記者さんが、周辺取材をしてくれたお陰で、自身の行動や政策を補完する第三者意見が発掘される可能性もあります。高等戦術としては、あらかじめ仕込んでおくこともできます。

「ノーコメント」を貫くのは、例えば高い倫理観を持っているからだと、信じさせることができれば評価が上がります。最近では公人に近い人の病状を答えないような場合です。

 

また、本当に大きな問題であれば、組織のコメントは最も適当な一人だけから発信するべきでしょう。いろいろな人がコメントすれば、どうしてもすれ違いができてしまいます。

「私はノーコメント。その件は、・・氏が代表して答えます」というスタイルです。

 

問題は、適当な一人が誰なのかということです。必ずしも最高責任者ではないわけで、事情を正確に理解しており、冷静に話ができる人のなかで、最も肩書の上位の人になります。

よく選ばないといけません。