古墳群の世界遺産認定と大嘗祭の亀卜

今日のニュースでは、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコの諮問機関(イコモス)が登録を勧告して、事実上登録が決定したそうです。

 

昨日のニュースでは、皇位継承に伴う「大嘗祭」で使うコメの産地を占う「斎田点定の儀」がおこなわれ、カメの甲を使った「亀卜」によって、「斎田」を設ける都道府県が栃木県と京都府に定められました。

 

仁徳天皇陵
仁徳天皇陵

百舌鳥・古市古墳群は、古墳時代の最盛期(4世紀後半から5世紀後半)にかけて築造されています。当時の天皇・皇后やその他の王たちのお墓です。

なかでも、仁徳天皇陵は墳丘の長さが525mにおよぶ世界最大の墳墓です。他にも、巨大な墳墓が多数あり、世界遺産にふくまれるのは49の古墳です。

 

世界遺産に認定される古墳の多くは、独特な鍵穴型の前方後円墳です。元々は周りに何重かの濠が巡らされていました。

仁徳天皇陵では現在も二重の周濠が残っています。築造当時は三重だったそうです。この濠には、大量の水が蓄えられていました。

 

一方で大嘗祭は、天皇が即位後最初におこなう新嘗祭(収穫祭)で、宮中祭祀のなかで最上位のものです。7世紀後半の天武天皇の頃に儀式の形が確立され、1300年以上行われています。この大嘗祭を持って、皇位の継承が完成する重要な儀式です。

 

大嘗祭では「斎田」で収穫されたコメを天皇が神に捧げ、天皇自らも食すことで、五穀豊穣と国家の安寧を祈ります。天皇とコメの関係は極めて重要です。

 

さて、天皇の墓である古墳にとって墳丘墓と並んで重要だったのが周濠です。

古墳時代の前半(4世紀中頃)までの稲作は棚田など山間の傾斜地で主におこなわれてきました。平野で稲作をするには、田に水路を引いて水を送る灌漑が必要だったのです。

 

古墳の周濠は灌漑用水を溜める施設でもあったのです。

悪口を言う人は、墳丘墓は濠をつくるときの残土を積み上げただけだとすら言います。多くの人民が、このような大きな古墳をつくるのに駆り出され、目立った叛乱も無かったのは、古墳づくりが人々の恩恵にもなったということです。

 

二日続けて、(ちょっと強引ですが)天皇とコメというニュースでした。

日本では、コメ離れが進んでいるわけですが、古代より日本人が大事にしてきた食文化です。自然に寄り添うコメ文化が失われることはないのだろうと思います。