山口県は銅の大産地だった理由

奈良・東大寺大仏は重量380トンもある世界最大の鋳仏です。山口県産の銅が使われました。

 

今から1300年ほど前、天平15年(743年)に聖武天皇の詔によって建立されました。造立には14年の歳月と延べ260万人の労働力が投入されました。当時の日本の人口は約600万人ですから、一大国家プロジェクトです。比較:来年の東京五輪が1/3延べ81万人の投入です。日本の人口が1.27億人ですから、大きさがわかります。

 

長登銅山坑口跡
長登銅山坑口跡

東大寺の大仏をつくるためには大量の銅が必要です。使われた銅の多くが、山口県美祢市の長登銅山(”ながのぼり”と読みます)から産出されていたものだと近年になってわかりました。

 

銅は人類が最初に使用した金属です。今から6000年前のメソポタミアで使われはじめました。これ以前は石器の時代です。

その後、銅の加工技術や精錬技術がエジプトや中国でも飛躍的に発展します。5500年前頃からは、銅と錫の合金である青銅器が盛んに作られるようになり、青銅器時代となります。

 

日本には弥生時代(約2500年前)になって銅や青銅が大陸から伝わりますが、全て輸入品です。日本国内での銅の生産はおこなわれていませんでした。

最初の銅の記録は698年に因幡国の銅鉱が朝廷に献上されたというものです。その後、708年に秩父で自然銅の鉱山が発見されたことで、本格的な銅生産が始まります。朝廷はこれを喜んで元号を和銅と改め、和同開珎という日本最初の貨幣を鋳造します。

 

この直後に発見されたのが長登銅山です。古来からの伝承で、”ながのぼり”は”奈良登り”が転じたもので、奈良の大仏の銅は長登銅山から産出されたものと言われていました。ずっとただの言い伝えだと思われていたのですが、1972年にはじまった調査で長登銅山が古代から銅を算出していた証拠が見つかり、1988年に銅の成分分析をおこなったところ、奈良の大仏には長登銅山の銅(ヒ素含有量が高いなど特徴がある)が使われている分かりました。奈良時代における日本最大の銅山だったわけです。

 

 

長登銅山文化交流館
長登銅山文化交流館のWebサイトにリンク

長登銅山があるのは、秋吉台のカルスト台地と関係があります。詳しい理屈はよくわかりませんが、接触交代鉱床とかスカルン鉱床とか言われるものです。火山のマグマと岩石との反応によって形成される火成鉱床で、特に石灰岩との境界部で交代作用によってつくられるのだそうです。マグマが石灰岩のなかを上下することで、その成分が濃縮されていくイメージです。

 

長登銅山跡の発掘調査は今も続いています。調査の結果は美祢市長登文化交流館に展示されていますので、秋吉台観光のついでにでも訪問してみてはいかがでしょうか。

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