猫城主さんじゅーろー ガンバル!

テレビで、備中松山城では猫城主さんじゅーろーが人気を集めているとありました。

 

猫が駅長を務めるというがありましたが、ついに城主になるものも現れたのですね。勝手に棲みついた猫が人気になって、観光客が増える、関連グッズが売れる(ネット販売もある)ということで、丸儲けです。ビジネスとしては最高です!

 

猫城主さんじゅーろー
猫城主さんじゅーろー(高梁市観光協会webサイトにリンク)

岡山県高梁市にある備中松山城は名城として有名です。日本にある城の中で往時のままの天守閣が残るのは、備中松山城を含めて僅かに12あるだけです。

本物を観たいという観光客がはるばるやってきます。

松山城は山城で12のお城の中で最も標高が高くなっています。霧の季節には、雲海に天守閣が浮かぶそうです。

 

さて、猫城主さんじゅーろーの前任の城主は板倉勝弼(かつすけ)ですが、これは明治になってからのこと。実際に城の主としては、幕末の江戸幕府で老中首座を務めた板倉勝静(かつきよ)がいます。

 

勝海舟が勝静を「名君の器であったが、生まれた時代が悪かった」と評しています。温厚にして篤実な一方で、信念を曲げない頑固さも持っていたようです。

江戸幕府内で信頼を集め、徳川慶喜から老中首座に任じられました。大政奉還にも貢献したのですが、筋を通して旧幕府軍参謀として新政府軍と戦いました。箱館総攻撃を前に新政府に投降して、晩年は上の東照宮祀官を務めました。

 

勝静の凄いところは信じた人には全て委ねるという度量の大きさにあります。江戸に居て藩の経営から離れていたのですが、これをゆだねたのが山田方谷(ほうこく)です。幕末期とは言え、山田方谷は農民出身の儒学者です。その能力を発見して、大抜擢で元締役兼吟味役として藩政を主導させました。

 

この方谷の藩政運営がまた素晴らしいのです。簡単に言えば、破綻寸前の藩の財政を大胆なリストラ策で延命し、その間に藩内産品の生産から流通までを一本化し、ブランド戦略で販路を拡大して収益を上げます。「備中鍬」や「ゆべし」などが全国に売れました。

方谷のビジネスモデルは藩の官僚ではとても思いつかなかったでしょう。この結果、幕末の備中松山藩は富裕でもあり且つ軍事強国でもありました。