浅田次郎の「一路」という小説を読んだのですが、とても面白かったので紹介します。
ときは、江戸時代の後期、西美濃田名部郡を治める蒔阪某は、石高7500石の旗本ながら大名と同等に扱われる高位のために、参勤交代の義務があった。参勤交代を取り仕切るのは共頭の小野寺家なのだが、屋敷の火事で当主が命を落とした。このため、急遽長男の一路がその大役をつとめることになったが・・・・・以下、波乱万丈。
小説のお話なのですが、かなりの部分が実際の決まり事とを踏まえているので、参勤交代が大変なことだったとよくわかります。
参勤交代は、予定した日程通りにおこなわないといけないとか、宿場で他の大名旗本の行列と重複した場合には優先劣後の折衝があるとか、厳しいです。
何よりたいへんなのは、参勤交代はその大名旗本の威光を表すものなので、見栄も大事になって、多くの費用がかかります。
この小説のテーマは、「参勤交代は行軍である」というものです。確かに、鎌倉時代や江戸でも初期の参勤交代の大名行列は、戦時の行軍に準じていたようです。騎馬武者や徒歩の武士に鉄砲や槍刀を押し立てていました。これは、幕府の本拠を守るために武力を移動させるという意味や、戦乱を防ぐための準備状況を見せつけるということだったようです。
徳川幕府の260年は、戦争が一度もなく、内戦もなかったわけです。近代国家でこれだけ長い期間に渡って戦乱を経験していないのは、この時期の日本だけです。
この平穏に参勤交代という制度は貢献したようで、意外に優れた制度だったような気がします。大名旗本が大きな負担をする事業であるというのは、それぞれの地域にとって大きな利益を落とすということです。
また、異なる生活圏の人々が交流する機会となり、新しい知識や文化の創造にもつながったと思います。さらに、見栄を張って競争することで、新しい技術が開発されるということもあったでしょう。
まとめると、参勤交代は、戦争がおこらない平和、経済の活性化、文化の振興に大いに貢献した優れた制度だったということです。