お茶とお菓子好き 松平不昧のお話(その2)

松平不昧(不昧公)として有名な松平治郷は松江藩第七代藩主です。~昨日の続き~

 

治郷は経済的に困窮していた松江藩を再興して、中興の祖とされる名君です。一方で、不昧流の茶道を興して、古今東西の名茶器を収集した茶人大名としても知られます。また、いろいろな和菓子を考案したことから、松江に菓子文化も根付かせました。

 

松江の銘菓(松江市観光協会のWebサイトより)
松江の銘菓(松江市観光協会のWebサイトより)

 

治郷の政治を「御立派(おたては)の改革」といいますが、紹介しましょう。

 

先ずは、徹底した財政再建政策です。

大阪の商人から多額の借金を抱えていた松江藩では、年貢米の取扱を任せることを条件にして利子の支払を免除してもらい、元金も70年の分割返済という契約に変更(実際に、その後74年間で完済した)しました。さらに、藩の支出を抑制するために、なんと役人のうち約1/3をリストラ(解雇)してしまいます。

 

その一方で、斐伊川に新たな排水路をつくる大規模公共工事をおこないます。水害を防ぎ、水運を強化します。この水運も活用して、高付加価値な商品作物の生産に注力します。専売制を確立したロウソクの製造は大きな利益をもたらしました。薬用人参は日本中に販売されて藩の経済を支え、出雲牛など畜産を保護し、品質の高い紙は輸出も行われました。

さらに鉱山経営でも安定した収益を得るようになったことから、「松江藩は御内福」(松江藩は裕福だ)というのが定説になっていきます。

 

そのようななかで、松平不昧は不昧流茶道を興して茶人大名としての名声を高めます。そして、現在の価格でいえばひとつ1億円以上もの金をかけて名茶器や工芸品を日本中から買い集めます。和菓子も大好きで不昧好みの菓子をつくらせたことで、松江は日本三大菓子処といわれます。お相撲も好きだったので、雷電為右エ門をはじめ当時の幕内力士の半分以上は松江藩のお抱えでした。

 

これじゃぁ、折角の財政再建も殖産振興も台無し?とも思うのですが、これも不昧の深謀遠慮だったようです。幕府に無駄遣いばかりをしている趣味人だと思わせることで、警戒されないという効果もあったようです。何といっても、不昧は徳川家康の直系の子孫にあたるので、何かと中央でも目立つ存在でした。

 

そもそも不昧という号も気取っています。昧は無知蒙昧とか愚昧の「昧」で愚かで、道理のわからいという意味です。自分から、私は愚かではないと号しているわけです。面白いですね。