「俳句では花は桜」が気に入らない

俳句は世界一短い文学なので、花=桜という決め事をしているということなんでしょうが?

 

テレビの「プレバト」は、夏井先生の毒舌キャラに、名人・梅沢富美男さんがタジタジになり、東国原さんの嫌味な感じに、フジワラ藤本さんの可愛らしさなど、独特の雰囲気で面白く観ています。(但し、リアルタイムではないですが・・)

 

大島桜
大島桜

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まぁ、ただの難癖なんですが、”花=桜”というのはちょっとおかしいですよね。

 

俳句は、江戸時代の前期に成立した新しい文芸です。松尾芭蕉が源流となって、私の御贔屓:井原西鶴がスター作家、小林一茶や良寛が育てて、愛媛松山で正岡子規が定着させたというのが歴史です。そのなかで、歳時記にある季語を必ず入れるということや、十七音の定型を守ることなど、約束事が決まりました。

約束事の一つが、花と言えば桜というわけです。花が桜なのは、あくまでも俳句を楽しむときに、その仲間内でだけ通じるルールです。

 

平安時代以前は、花と言えば梅だったという話がまことしやかに定説化していますが、これも間違いです。桃も橘も、牡丹も菊も蘭も、みんな人々が愛でていた花です。花というモノの多様性や、花にまつわるコトの独自性が大事なような気がします。

ということで、「花と言えば桜」がちょっと気に入りません。そもそも、花は草冠に化けると書くように、怪しい存在でもあります。