高知(こうち)の財布が大人気

「Coach」は、アメリカ・ニューヨークが本社の高級皮革製品メーカーです。

 

Coach社のウェブサイトをみると、2017年の売上高は約45億ドル(5000億円)、当期純利益が5億9千万ドル(650億円)。総資産が58億ドルで純資産が30億ドル。メチャメチャ儲かっている、超優良企業ですから、Coachというブランドも超有名なんでしょうね。

 

高知の財布
高知の財布

その超有名なCoach(コーチ)社と音が似ているということで、高知(こうち)の財布が販売されていたようです。

NON STYLEの石田明さんのSNSから拡散されて、一大ブームとなっているそうです。有名人の情報発信力に驚かされるのですが、商品そのものに魅力があるということなんでしょうね。

 

ところで、高知はどうして高知(こうち)というのか?不思議なので調べてみました。

その前に、Coachは四輪の大型馬車という意味で、Coach社のロゴマークにも使用されています。

 

土佐の領主であった長宗我部盛親は関ケ原の戦いで西軍について戦い破れます。代わって掛川城主だった山内一豊が土佐の領主になります。そのときに、現在の高知城を本拠にするわけですが、当時は「大高坂城」と呼ばれていました。

 

大高坂(おおたかさか)城は、もともと大高坂氏の居城です。大高坂というのは姓(苗字)が由来なんです。ちなみに、長宗我部という苗字は宗我部という苗字の家が他にもあったので、区別をするために”長”をつけたものだそうです。大高坂も高坂と区別するのに縁起の良い”大”を頭につけたのでしょうか?

 

山内の居城になったので、大高山城を改名することになります。一豊とともに掛川から一緒に土佐に移った真如寺(山内家の菩提寺:曹洞宗)の住職が名付けることになり、桂川と江の口川の二つの川に挟まれているという地形から「 河内山(こうちやま)城」としました。

 

ところが、桂川の水害が発生したことから二代藩主山内忠義が、河内という名前を嫌って、弘法大師空海も修行したという真言宗の古刹である土佐竹林寺の僧・空鏡によって音はそのままに「高智山(こうちやま)城」と再び改名されました。その後、高智山が高知山となり、さらに山が省略されて高知城と呼ばれるようになりました。城下町の名前も「高知」となったという次第だそうです。